彦根城(ひこねじょう)

彦根城の基本情報

通称・別名

金亀城

所在地

滋賀県彦根市金亀町

旧国名

近江国

分類・構造

連郭式平山城

天守構造

複合式望楼型[3重3階地下1階/1606年築/現存]

築城主

井伊直継

築城年

元和8年(1622)

主な改修者

主な城主

井伊氏

廃城年

明治7年(1874)

遺構

曲輪、櫓、門、天守、石垣、土塁、横堀(水堀)、塀

指定文化財

国宝(天守等2棟)、国重要文化財(櫓、門、馬屋等5棟)、国特別史跡(彦根城跡)

再建造物

御殿、石碑、説明板

周辺の城

佐和山城(滋賀県彦根市)[1.6km]
太尾山城(滋賀県米原市)[5.9km]
鎌刃城(滋賀県米原市)[6.2km]
日夏城(滋賀県彦根市)[6.2km]
敏満寺城(滋賀県犬上郡)[7.0km]
目加田城(滋賀県愛知郡)[10.1km]
勝楽寺城(滋賀県犬上郡)[10.1km]
下坂氏館(滋賀県長浜市)[10.4km]
長浜城(滋賀県長浜市)[11.3km]
高室山城(滋賀県犬上郡)[11.3km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

50 彦根城

設置場所

開国記念館(彦根城域内)[地図

彦根城の解説文



彦根城(ひこねじょう)は、近江国犬上郡彦根(現在の滋賀県彦根市金亀町)[1]にある城。江戸時代には彦根藩の政庁が置かれた。天守、附櫓及び多聞櫓は国宝、城跡は特別史跡かつ琵琶湖国定公園第1種特別地域である。天守が国宝指定された5城のうちの一つでもある(他は犬山城松本城姫路城松江城)。彦根八景・琵琶湖八景に選定されている。

概要 

江戸時代初期、現在の彦根市金亀町にある彦根山に鎮西を担う井伊氏の拠点として築かれた平山城(標高50m)。山は「金亀山(こんきやま)」の異名を持つため、金亀城(こんきじょう)とも呼ばれた。多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城であった。

明治時代初期の廃城令による破却を免れ、天守が現存する。天守[2]と附櫓(つけやぐら)及び多聞櫓(たもんやぐら)の2棟[3]が国宝に指定されるほか、安土桃山時代から江戸時代の櫓・門など5棟が現存し、国の重要文化財に指定されている。中でも馬屋は重要文化財指定物件として全国的に稀少である。

天守が国宝指定された5城の一つに数えられる[4]姫路城とともに遺構をよく遺している城郭で、1992年(平成4年)に日本の世界遺産暫定リストに掲載されたものの、近年の世界遺産登録の厳格化により、20年以上推薦が見送られている。

滋賀県は廃城令で解体された城が多く、彦根城は県内唯一の保存例である(歴史・沿革を参照)。

歴史・沿革 

江戸時代

徳川四天王の一人・井伊直政は、1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの後、その軍功により18万石にて近江国北東部に封ぜられ、西軍指揮官・石田三成の居城であった佐和山城に入城した。佐和山城は「三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近に佐和山の城」と言われるほどの名城であったが、直政は、中世的な古い縄張りや三成の居城であったことを嫌ったという[5]。このため琵琶湖岸に近い磯山(現在の米原市磯)に居城を移すことを計画していたが、関ヶ原の戦傷が癒えず、1602年(慶長7年)に死去した。家督を継いだ井伊直継が幼少であったため、直政の遺臣である家老の木俣守勝が徳川家康と相談して直政の遺志を継ぎ、1603年(慶長8年)琵琶湖に面した彦根山に彦根城の築城を開始した。

築城には公儀御奉行3名が付けられ、尾張藩や越前藩など7か国12大名(15大名とも)が手伝いを命じられる天下普請であった。1606年(慶長11年)2期までの工事が完了し、同年の天守完成と同じ頃に直継が入城した。大坂夏の陣で豊臣氏滅亡後、1616年(元和2年)彦根藩により第3期工事が開始され、御殿が建造された。1622年(元和8年)、すべての工事が完了し、彦根城が完成した。その後も井伊氏は加増を重ね、1633年(寛永10年)には徳川幕府下の譜代大名の中では最高となる35万石を得るに至った。

彦根城を築くにあたり、大津城佐和山城はじめ近江国の諸城を移転や破却し、城の建設物に利用したとされる。結果として彦根藩には彦根城しか残らず、大老も出す譜代筆頭の井伊氏が諸大名に一国一城令を守る手本を示した格好になった。筆頭家老・木俣家は1万石を領していたが、陣屋を持たなかったため、月間20日は西の丸三重櫓で執務を行っていたという。徳川統治下の太平の世においては、城郭は軍事施設としての意義を失い、彦根城も西国大名の抑えのための江戸幕府の重要な軍事拠点から、藩政や年貢米の保管の場所となり、天守や櫓は倉庫等として使われた。

1854年(安政元年)に天秤櫓の大修理が行われ、その際、石垣の半分が積み直された。向かって右手が築城当初からの「牛蒡積み」、左手が新たに積み直された「落し積み」の石垣である。

幕末に大老を務めた井伊直弼も、35歳で藩主となるまでこの城下町で過ごしている。直弼がその時に住んだ屋敷は、「埋木舎(うもれぎのや)」として現存している[6]

明治時代

明治維新後、廃藩置県によって各藩の城郭はそれまでの機能を失い、建築物としても「無用の長物」となり、その多くが廃城令により廃城となったが、彦根城は当初陸軍省管轄下の施設となったため維持された。しかし、老朽化のため民間へ売却されて破却される予定となったが、明治11年の明治天皇の彦根行幸の際に供奉していた参議大隈重信が天皇に働きかけた結果、天守や櫓の保存が決定し、皇室付属地彦根御料所となり、最終的には最後の彦根藩主であった井伊直憲に下賜されて保存された[7]

昭和時代

  • 1934年(昭和9年)、築城以来徳川幕府の要の役割を果たしていた彦根城には桜が植えられていなかった。これを憂いた彦根町会議員の吉田繁治郎が観光のシンボルとしてソメイヨシノの苗木1,000本を城内に植樹した。[8]
  • 1944年(昭和19年)、井伊家から彦根市へ、彦根城およびその一帯が寄付される。
  • 1945年(昭和20年)、8月15日夜に連合国軍が彦根市を夜間爆撃する予定であったが、同日正午の終戦の詔勅により日本の降伏が発表され爆撃は行われなかった[9]
  • 1951年(昭和26年)、「彦根城跡」として国の史跡に指定、天守等6棟が重要文化財に指定された。
  • 1952年(昭和27年)、前年重要文化財に指定された6棟のうち天守(1棟)と附櫓及び多聞櫓(1棟)の2棟が国宝に指定された。

  • 1956年(昭和31年)、「彦根城跡」が特別史跡に指定された。
  • 昭和の大修理
    • 1957年(昭和32年)~1960年(昭和35年)、天守、附櫓及び多聞櫓の修理、
    • 1960年(昭和35年)~1962年(昭和37年)、西の丸三重櫓と二の丸佐和口多聞櫓の解体修理。
    • 1965年(昭和40年)~1968年(昭和43年)、馬屋などの解体修理。
  • 1963年(昭和38年)、馬屋が重要文化財に指定された。
  • 1987年(昭和62年)、彦根市市制50周年として表御殿表向が外観復元(鉄筋コンクリート構造)され、「彦根城博物館」として藩政時代の調度品・武具などが展示されている。又、奥向は発掘調査を経て「平面図」と「起こし絵図」に基づき木造復元された。

平成時代

  • 1993年(平成5年)7月1日~1996年(平成8年)12月、平成の大修理。天守・附櫓および多聞櫓の屋根の葺き替えと壁や漆の塗り替え、木材の腐食部分補修、唐破風飾金具の金箔押し直し、西の丸三重櫓と続櫓の屋根の葺き替えと壁の塗り替えなどの修理が行われた。
  • 2005年(平成17年)~2008年(平成20年)、石垣の構築調査や石材調査、崩落調査、歴史調査・整理等が行われ、今後の管理・修理に向けての石垣台帳が作成された[10]
  • 2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(50番)に選定された。
  • 2007年(平成19年)、国宝・彦根城築城400年祭が行われた。
  • 2012年以降、堀に自転車(多くは盗難自転車)を投棄される被害が相次いでおり、問題となっている[11][12][13][14]
  • 2014年8月、台風11号の影響で天秤櫓の漆喰が2箇所が剥がれ落ちた[15]
    • 9月14日:築城以来初めて夜間の入城で一般開放された[16]
    • 11月:全国城サミットが開催された[17][18]
  • 2015年(平成27年)4月24日、「琵琶湖とその水辺景観- 祈りと暮らしの水遺産 」の構成文化財として日本遺産に認定される[19]
  • 2015年12月:大正時代の航空写真が発見され当時はまだ埋められていない堀の様子などが判明した[20]
  • 2017年:「国宝・彦根城築城410年祭」が行われる[21]
    • 同年1月:外堀の発掘調査で切通口御門の礎石と石垣が発見された[22]

令和時代

  • 2020年(令和2年)2月27日 - 新型コロナウイルス感染症の流行により休城、6月15日に再開。
  • 2023年11月11日~ - ユネスコ指針遺産と創造性に基づき天守にプロジェクションマッピングを投影するユニークベニューを実施(11月18・19・23・24・25日及び12月2日)[23]

世界遺産登録へ向けて

  • 1992年(平成4年)10月1日 - 日本の世界遺産候補第一号としてユネスコ世界遺産センターの暫定リストに掲載[24][25]
  • 2000年~2002年 - ユネスコが世界遺産周辺(緩衝地帯)における景観修繕を求めるようになったことをうけ、滋賀県と彦根市が関西電力と協力し、内堀沿いの電柱約40本とそれに連なる電線を撤去し、電線類地中化を実施。国内の世界遺産登録地・候補地の中でもこれだけの規模での修景を行ったのは初めての事例で、ユネスコも高く評価。将来的には防災の観点からも城周辺の市街地(城下町)全ての地中下を目指す[26]
  • 2007年1月23日 - 前年に文化庁が実施した世界遺産候補地公募の選定結果発表に伴う今後の世界遺産の在り方・方向性をまとめた文化審議会の世界文化遺産特別委員会が[27]、「既に世界遺産に登録されている姫路城との違いを明確にする必要がある」「候補地公募に名乗りを上げた松本城なども含め、"近世日本の木造天守閣式城郭"といった枠組みで姫路城の拡張登録を目指すのも一つの手段ではないか」という見解が示されたが、姫路市が「拡張登録は考えていない」と拒否。この文化審議会の指針をうけ、市役所企画推進部が「彦根城の世界遺産登録を推進する方策を考える懇話会」を開設し、登録に向けての本格的な思案を開始[28]
  • 2008年4月 - 市教育員会文化財部に「彦根城世界遺産登録推進室」設置、推薦書素案の作成などを開始。
  • 2008年9月 - 文化審議会が示した”姫路城を中心とした日本の近世城郭群”案に関し、「一定の方向性が見えた段階で準備を進めるべき」との検討結果をうけ、松本城犬山城を加え、松本市・犬山市との共同推薦に関する「国宝四城近世城郭群研究会」を発足。
  • 2009年 - 懇談会が「彦根城世界遺産推進委員会」に改称。
  • 2011年9月 - 文化遺産分野におけるユネスコの諮問機関国際記念物遺跡会議(イコモス)の国内委員会が現地視察し、移築された城という文化資材の文化循環があること[29]姫路城には残されていない御殿や厩などがあり武家文化の総体がうかがえる、琵琶湖やそこに繋がる水路なども包括した文化的景観を目指す手法[30]もあるのではとの助言をうける[31]
  • 2012年11月 - イコモスの研究者を招聘して現地視察を行い、姫路城には見られない複雑な堀や城下町の都市機能が注目に値するとの助言を得る[32]
  • 2014年6月 - 副市長がパリのユネスコ本部世界遺産センターを訪ね、封建領主の精神的・文化的生活のような方向性で考えるのがよいとの助言を得る[33]
  • 2014年8月 - 県と市の「世界遺産関連連絡調整会議」と作業グループを設置(市の「彦根城世界遺産推進委員会」が併合解散)、新しいコンセプトを「近世大名の城と御殿」として御殿も包括[34]
  • 2015年1月 - 副市長が世界遺産センターを再訪し、国際比較としてヨーロッパおよび近接する韓国の城で行うべき、従来の歴史学・建築学に加え美術史の視点も織り込むべき、城下における武士のみならず寺社や庶民を含めた社会的調和の文化的シンボルの役割を追及すべき、都市化している市街地との景観落差について見解を展開すべきなどの助言を得る。
  • 2015年7月 - 島根県の松江城が国宝に指定されたことを受け、国宝四城研究会に松江市も参加し姫路城を含む「国宝五城」の世界遺産登録を目指すことに。
  • 2016年 - 市が彦根城の単独登録を目指すとして国宝四城研究会を離脱。
  • 2016~2017年 - 複数の海外の研究者を招聘し協議を重ね、自然との関わりや宗教観なども考慮すべき、屋外広告物の規制など景観保全の取り組みも進めるべきとの助言を得、「水都彦根」の指針を示す[35]
  • 2017年 - 彦根市が「有識者による学術検討委員会」を設置。
  • 2018年 - イコモスの「城塞・軍事遺産国際学術委員会(イコフォート)」を招聘しての国際会議を開催し、天守のほか大名庭園や城下町の武家屋敷などと一体とした「江戸期の武士の統治を表す複合体」をコンセプトに2024年の登録を目指すことを表明。但し、2015年に登録された明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業の構成資産に萩城下町が含まれており、そちらとの差別化を図る必要性も指摘された。
  • 2020年3月 - 暫定リスト掲載から四半世紀以上を経て、2022年の登録審査を目指し初めて推薦書原案を文化庁に提出したがコロナウイルス感染症による影響で国内候補地の選定が行われないことになった。
  • 2020年4月 - 県が文化財保護課に「彦根城世界遺産登録推進室」設置。
  • 2020年5月 - 県と市による「彦根城世界遺産登録推進協議会」設置(県と市の「世界遺産関連連絡調整会議」と作業グループが統合解散、両登録推進室の協力体制)。
  • 2021年3月 - 2023年の登録審査を目指し改めて推薦書原案を再度提出するも、金を中心とする佐渡鉱山の遺産群(正式推薦に向け佐渡島の金山に名称変更)が選定された。
  • 2021年6月14日 - 彦根市長が市議会定例会の一般質問の回答の中で彦根城が暫定リスト入りしてから30年近く過ぎたことに触れ、2024年の登録を逃した場合はこれ以上の労力や資金を掛けることは避けたいと発言し、運動打ち切りを示唆した[36]
  • 2022年6月 - 2024年の審査審査を目指して推薦書原案を再々提出するも、8月3日になり文化庁が彦根城の2024年の登録審査希望を1年延期し、2025年に変更する旨を通知。これは2023年に審査予定だった佐渡金山が書類不備のため審査が1年順延となり、さらに2022年開催予定であった第45回世界遺産委員会がロシアによるウクライナ侵攻で開催が1年延期となり(委員会開催国がロシアだった。)、佐渡の審査が2024年に繰り下がったことが影響した[37]
  • 2023年3月15~17日 - 彦根城について、海外との比較研究や国際的な評価が不足しているとされるため、韓国とフィンランドの研究者を招聘し視察と議論を実施。これを踏まえ「江戸幕府成立後に建てられ、戦に一度も使われることがなかった"平和の時代の象徴"」という新しい価値観を打ち出し、「平和の砦」を憲章として掲げるユネスコへのアピール材料とする。
  • 2023年7月4日 - 文化審議会が彦根城の扱いについて、同年から運用が始まった事前評価制度(プレリミナリー・アセスメント)を利用する方針を示した。これは推薦物件の学術的価値を審査する諮問機関(文化遺産の場合はイコモス)が推薦希望物件を推薦前に調査して是正指摘事項などを指導することで登録しやすくするもの。登録審査に最低4年を要し、最短で2027年になる[38]
  • 2023年9月5日 - 事前評価制度での推薦書をユネスコへ提出。結果は2024年10月1日までに通達される。

構造 

城の形式は連郭式平山城。本丸、二の丸、三の丸と北側に山崎曲輪が配置された。御殿は二の丸に置かれた。本丸に天守、西の丸と山崎曲輪に三重櫓が建てられた。山崎曲輪三重櫓は明治初期に破却された。なお、城の北側には玄宮園と楽々園という大名庭園が配されており、これらは「玄宮楽々園」として国の名勝に指定されている。玄宮園、楽々園はかつて松原内湖(戦中・戦後に干拓)に面しており、入江内湖も望める絶景であった。

なお、現存例の少ない築城の技法でもある「登り石垣」が良好な形で保存されている。この石垣は、天秤櫓の向かって右が牛蒡積み(野面積みの一種)、向かって左が落し積みとなっている。

地理特性・縄張り

琵琶湖と山の間、5キロメートルほどの狭い平地に立地する彦根は中山道と北陸道(俗に北国街道ともいう。)が合流し、水陸から京に至る東国と西国の結節点であった。このため戦略拠点として古くから注目され、壬申の乱(672年(白鳳元年))、姉川の戦い(1570年(元亀元年))、賤ヶ岳の戦い(1583年(天正11年))、関ヶ原の戦い(1600年(慶長5年))など古来多くの合戦がこの周辺で行われた。織田信長は佐和山城に丹羽長秀を入れ、ほど近い長浜城を羽柴秀吉に与えている。また豊臣秀吉と徳川家康はそれぞれ重臣の石田三成と井伊直政をこの地に配置している。又、当時の廓は総構え以外は全て現存しているも、当時は城のそばまで琵琶湖の水が引き寄せていたが都市開発の為に埋め立てられた。

彦根城は西国大名の防衛のための城であったため、防御のための工夫がされている。狭間は外から見えないように作られ、階段は敵を上から突き落せるように急角度(最大62度)であり、また蹴って落とせる構造である。

建築

彦根城の建築物には、近江の名族京極高次が城主を務めた大津城の天守をはじめ、佐和山城から佐和口多門櫓(非現存)と太鼓櫓門、小谷城から西ノ丸三重櫓、観音寺城からや、どこのものかは不明とされているが太鼓門などが移築されたという伝承が多い。建物や石材の移築転用は縁起担ぎの他、コスト削減と工期短縮のために行われたもので、名古屋城岡山城姫路城福岡城など多くの城に建物の移築の伝承がある。

天秤櫓は、長浜城から移築したといわれ、時代劇の撮影にも使われる。[39]。堀切の上の掛橋を渡った突き当たりにあたる、長い多聞の左右の端に2重2階の一対の隅櫓を構え、天秤ばかりのような独特な形状である。

本丸

天守

通し柱を用いず、各階ごとに積み上げられた天守は3層3階地下1階の複合式望楼型で、「牛蒡積み(ごぼうづみ)[40]」といわれる石垣で支えられ、1重目の窓は突上窓、2重目以上の窓はすべて華頭窓を配し、最上階には実用でない外廻り縁と高欄を付けている。各重に千鳥破風、切妻破風、唐破風、入母屋破風を詰め込んだように配置しており、変化に富む表情を見せる。大津城天守(4重5階)を5重の江戸城より低くするために敢えて3重に縮小して移築したといわれ[41]、昭和の天守解体修理(1957年(昭和32年)- 1960年(昭和35年))のときに、天守の用材から転用されたものと見られる部材が確認されている[42]。天守3階には破風の間という小部屋がある[43]

月見櫓・二十間多聞櫓

かつて天守の南面にそびえていた二層二階の櫓。着見櫓ともいう。月見櫓から西へと方角を変えると、土塀を挟んで二十間多聞櫓が続いていた。この二つの櫓群は山麓の表門から本丸を仰ぎ見ると、天守とともに眺めることができた。

太鼓門櫓

二十間多聞櫓を経た先にある櫓門で、現存。続櫓として多聞櫓を脇に備える櫓門であり、解体修理の結果、場所は不明なものの城郭か寺院の大規模櫓門を縮小・移築したものであることが判明している。櫓部分には勾欄が開口部として備わっており、往時はその名の通り太鼓を置き、周囲に時を知らせていたとされる。なお太鼓門櫓を南にくぐった先は、本丸の中でも特に本丸南腰曲輪と呼ばれる区画となる。

天秤櫓

本丸南腰曲輪に存在する櫓。櫓門及び二層二階の櫓2基が多聞櫓によって一体化した形状で、その様が天秤に似ているためこの名がある。井伊家の文書『井伊年譜』には「鐘丸廊下橋多門櫓は長濱大手の門之由但楠木にて造」との記載があり、長浜城から移築された伝承が残る。天秤櫓より廊下橋を渡って進むと、鐘の丸という区画になる。

西の丸

西の丸三重櫓

天守北面の西の丸に位置する三層三階櫓、現存。両脇に多聞櫓を備える格式高い造りであり、『井伊年譜』にて「西丸三階櫓は木俣土佐へ御預也、一月に廿日程づつ土佐相詰候由」とあるように、竣工時には彦根藩の筆頭家老木俣家の預かり櫓・勤務地となっていた。小谷城からの移築物とする伝承が残っている。

山崎曲輪

山崎三重櫓・山崎口門

西の丸のさらに北面に位置する山崎曲輪にかつて存在した三層三階の櫓。往時は千鳥破風を備えた三重櫓であり、長浜城の天守を移築したとする伝承があった。三重櫓には櫓門として山崎口門が近接していた。山崎口門は彦根城のなかでも最も琵琶湖側に開く門。櫓部分は失われて久しいが、門扉のみ現存している。

内城

佐和口多聞櫓

彦根城には内城域として佐和口、京橋口、船町口の3つが築かれたが、このうち佐和口に二層二階櫓や多聞櫓が現存する。佐和口多聞櫓は佐和山城からの移築とする伝承があるが、その内部構造から元和年間の創建とする説もある。佐和口付近の堀付近より天守、天秤櫓、佐和口多聞櫓を一望できる。佐和口門跡(非現存)を挟んで、佐和口続多聞櫓が犬走とともに延びており、この部分は復元建築物である。彦根市によれば、屋敷の遺構表示をする計画はあるが予算の関係で建物の木造復元計画はない。なお、彦根市では城下に続く7つの門の1つの長曽根御門を木造復元する計画があるが、現時点では門跡の発掘調査をしている段階である。

文化財 

国宝
  • 天守
  • 附櫓及び多聞櫓(1棟)
重要文化財
  • 天秤櫓
  • 太鼓門及び続櫓(1棟)
  • 西の丸三重櫓及び続櫓(1棟)
  • 佐和口多聞櫓
  • 馬屋

観光 

城域には彦根城博物館[44]や、開国記念館[45]がある。庭園の玄宮園を含めた内堀より中側への入域は有料(大人800円など)である[46]

観光客誘致のため、彦根市のキャラクター「ひこにゃん」を毎日登場させている[47]

所在地
滋賀県彦根市金亀町1-1
利用情報
日本100名城スタンプラリーのスタンプは彦根城開国記念館に設置されている。
屋形船(内堀を観光船で巡る)
山崎御門前←→玄宮園前船着場

アクセス

鉄道
  • 彦根駅(JR西日本 東海道本線(琵琶湖線)・近江鉄道本線(彦根・多賀大社線))から彦根ご城下巡回バスで彦根城停留所下車、徒歩すぐ(※季節運行)。
  • 同駅から徒歩約15分。
タクシー
  • 米原駅(JR東海 東海道新幹線・東海道本線、JR西日本 東海道本線(琵琶湖線)・北陸本線、近江鉄道本線(彦根・多賀大社線))から約20分。
  • 彦根駅から約5分。
自動車
  • 名神高速道路 彦根ICから車で約5分。
  • 北陸自動車道 米原ICから車で約20分。
  • 国道8号 :彦根市・外町交差点で国道306号と交差。
  • 国道306号 :彦根市・外町交差点が終点。
  • 国道307号 :彦根市・原町交差点が起点。
駐車場
  • 彦根城駐車場(1日1,000円)

舞台となった作品 

映像

以下の作品以外にも、映画やテレビドラマの撮影地として頻繁に使われている。東映京都撮影所や京都映画撮影所から場所が近いことから、姫路城とともに時代劇のロケが頻繁に行われている。姫路城江戸城の代わりとして用いられる事が多いのに対して、それより小規模な本城は無名の小城という設定での撮影が多い。

  • 映画
    • 柳生一族の陰謀(1978年) - 江戸城
    • 赤穂城断絶(1978年) - 天秤櫓と廊下橋が赤穂城の正門、太鼓門櫓が江戸城
    • 影武者(1980年) - 春日山城
    • 武士道ブレード(1981年) - 大和守の居城
    • 梟の城 owl's castle(1999年) - 重蔵と五平の最後の戦いが、佐和口多聞櫓と堀で撮影
    • 武士の一分(2006年)
    • 大奥(2006年)
    • プリンセス・トヨトミ(2011年) - 大阪城
    • タイムスクープハンター 安土城最後の一日(2013年) - 安土城
    • 仮面ライダー×仮面ライダー 鎧武&ウィザード 天下分け目の戦国MOVIE大合戦
    • 偉大なる、しゅららぼん(2014年) - 主人公の居城
    • るろうに剣心 京都大火編(2014年) 瀬田宗次郎が大久保利通を暗殺
  • テレビドラマ
    • 影の軍団シリーズ(1980 - 1982, 1985年) - 江戸城
  • 情報番組
    • 坂東三津五郎がいく 日本の城ミステリー紀行(2010年11月26日放送分)
    • 絶対行きたくなる!ニッポン不滅の名城「彦根城」(NHK BSプレミアム、2021年7月2日放送分)

文学

井伊直弼が藩主の座に就くまでには、先の藩主やその候補者の多くが夭折(ようせつ)していることから神秘的な物語の舞台に採り上げられることが多い。なお、国宝・彦根城築城400年の開催を機に小説を対象に2007年(平成19年)、舟橋聖一文学賞が創設された。

参考文献 

  • 【書籍】「近江彦根城天守建築考」
  • 【書籍】「日本の城郭を歩く -

彦根城の口コミ情報

2024年04月05日 はる左京大夫ちゃん
彦根城



桜咲く彦根城登🏯天下普請の国宝ではあるが、パーツ寄せ集めの城とのこと。苔に覆われた石垣も圧巻!大名庭園玄宮園から眺める彦根城もよし!

2024年03月26日 小太郎左衛門督南海道22國守
彦根城



京橋口駐車場より、徒歩にて登城。4ヶ所のエリアについても、徒歩にて行軍。百名城スタンプは、表門橋外側の無料エリアにあります。佐和山城のエリアまでは、車で10分、3キロ前後の距離です。3月22日訪問。

2024年03月10日 ふみ
彦根城



現在、天守が耐震対策工事で、登城不可ですが、他の櫓の内部公開をしています。

2024年01月06日 りょう内大臣
楽々園[彦根城  関連施設]

池眺めながら、抹茶とお菓子をいただくことができます。

2024年01月02日 気分爽快信濃守
彦根城



イベがあったので、元旦から彦根城に行ってきました。
朝8時30分から登城しQR読み取ったら一通り回って玄宮園に。あまり混んでなくてゆっくり回れました。
リア攻めボーナス頂けると思わなかったので写真投稿してしまい、残った6枚をupします。
①京橋と天守
②太鼓櫓と天守
③太鼓櫓からの天守
④北西からの天守
⑤井戸曲輪横の仕切門からの天守
⑥天守、三重櫓、玄宮園と土橋

2023年10月08日 服部修理亮半蔵
彦根城



この日の翌日は雨だったが晴れてよかった。ひこにゃん降臨➕3連休により大⭐️混⭐️雑写真スポットもあって良い。横から見ると唐破風と破風がよく見える。

2023年08月16日 やまてつ伊予守
彦根城



以前訪れたときは外壁修理をしていたので、今回は足場無しの天守を見ることができました。朝一番だったので、天守を独り占めできました。

2023年06月20日 カズ
彦根城

100名城のスタンプを押すために久しぶりに訪れましたが、やはり素晴らしい城です。今回は天秤櫓等が開放されていたので、かなりお得感が得られました。ただし、立ち入り制限箇所が何箇所かあったのは残念でした。佐和山城も安土城もそうなのでしょうが、多くの人が訪れると、観光地としては嬉しい反面、遺構の維持管理は難しくなるのでしょうから、一部立ち入り制限も仕方ないのでしょうね。

2023年06月17日 金森出雲守
展望台[彦根城  その他]

屋上展望台からお城がよく見えます。6階のカフェからも見えます。

2023年05月09日 タケロー
開国記念館[彦根城  関連施設]

100名城のスタンプは、ここの2階です。

2023年05月03日 和泉守Dauphin
彦根城



湖畔の静かな街並みに佇む名城でした。GW中は櫓の内部が無料で一般公開されています。

2023年03月25日 鵜乃 左近衛少将 朋征
京橋口門跡[彦根城  遺構・復元物]

ここの雁木は上がれないです。注意書もあります。

2023年02月12日 ちーちゃん
彦根城

天守まで続く石垣が見事でした。現存している天守の中、梁も素晴らしかったです!

2022年11月19日 みっちゃん
彦根城



久々の彦根城。やっぱり素晴らしいです。お庭も素晴らしい。彦根城前のホテルに泊まって夜はイルミネーションを満喫。最高でした。

2022年10月31日 みつ
彦根城



お堀クルーズで石垣を堪能してから天守に向かいました。さすが国宝🏯です。圧感です。船頭さんも言っていましたが、世界遺産登録されると良いですね。

2022年10月02日 ダネまま刑部大輔
彦根城



現存天守のため階段が狭く急です。私は杖が必要ですが、中では使用出来ませんでした。荷物は、極力駅のコインロッカーに預け身軽にして行くと良いと思います。天守の階段は、巾が狭く、段の滑り止めは金属のため、ツルツルで要注意。スタッフも各階にはいなかったので不安が有りました。

ぐるりとゆっくり見るには、時間に余裕を持って行くべし。お城のスタッフさんが、杖をついている私を見て帰りのお勧めルートを提案してくれる親切もあり、ぜひスタッフさんと話をして情報を得るべし。

2022年07月16日 【城郭道】たっきー
太鼓門櫓[彦根城  遺構・復元物]



彦根城太鼓門及び続櫓、滋賀県彦根市。
天守や本丸御殿が位置する本丸の表口を固める櫓門で中には名称通り、太鼓が置かれていました。
建物の背面(本丸側)は開放され、高欄となっていて、珍しい構造となっています。
近年の解体修理に伴う学術調査でどこかの城門を移築したものだと判りました。
余談ですが、ここで映画『関ヶ原』の撮影が行われています。

2022年05月02日 竹中播磨守じゅん兵衛
彦根城



彦根城は佐和山城跡の山頂からよく見えます、めっさ近いです。彦根駅ロータリー直政公銅像近くにかわいらしいひこにゃんマンホールあり。井伊大老も彦根を見守ってます。

2022年04月30日 曲輪淡路守削平
圓常寺[彦根城  寺社・史跡]



智照山通眞院圓常寺。慶長十七年(1612)二代藩主井伊直孝公が母君(養賢院·阿こ)の菩提寺として建立しました。本尊は快慶銘のある阿弥陀如来立像(国重文)。秘仏として養賢院の持仏と伝わる智照観世音菩薩像があります。庭園は彦根城の外堀の土居の名残とされています。拝観料は200円。本堂、庭園、書院をそれぞれ解説して頂きながら廻りました。書院には井伊直弼公の文などが長押に飾られていました。庭園だけ少し時間を頂いて写真撮影。境内には家老木俣家寄進の閻魔堂や日本海海戦で活躍した三六式無線機を開発した安中常次郎の顕彰碑があるとか。また隣接する駐車場の裏側に白蛇の社があります。薬医門や本堂も見応えありました。2022.2.13

2022年04月11日 利太郎
彦根城



外堀から天守閣が見えない。
入口から急な坂で、通路は凸凹道。
天守閣の階段も急で手すりを掴まないと昇れない。しかし、天守閣からの眺めは最高。ひこにゃんに会うには、11時頃からですね

2022年03月22日 千葉相模守早雲
彦根城



車は表門の目の前の二の丸駐車場に停めました。表門橋を渡ると表門石垣や鐘の丸石垣、登り石垣が見え、興奮状態😁

山道を上がっていくと、天秤櫓・太鼓丸が徐々に見えてきます。そしてついに大堀切とそれに架かる木橋が姿を現し、興奮度MAXです😆

天秤櫓・太鼓丸を抜けると本丸石垣が見えてきます。しっかり横矢が掛かる作り。太鼓門櫓前の枡形からは天守も顔を覗かせます。太鼓門櫓を抜けると本丸。こちらから見ると細く見えますが、横から見ると少し幅広の姿や破風を拝めます。

西の丸から井戸曲輪を経て黒門へ向かうと石垣の壮大さにやられます😅さすが国宝だなぁと納得です😆

1.表門石垣。
2.天秤櫓と大堀切。
3.本丸石垣の横矢掛かり。
4.鐘の丸石垣。
5.太鼓門櫓の枡形越しの天守。
6.破風で装飾された天守。
7.本丸石垣
8.西の丸石垣

2022年02月15日 さっちゃん
彦根城



天守、櫓、庭園、石垣、国宝とだけあって、どこも手入れが程よく行き届いて美しく思いました。天守まではなかなかの勾配で、もちろん天守内の階段はスカートでの昇降は危険な階段です。

当時の人は袴なんぞ履いて刀を腰に挿してこんな階段昇り降りしたのかと想像するだけですごいなぁと思います。ただ柱など近年の落書きが多いように感じました。

2022年01月29日 青コアラ美濃守
舟入跡[彦根城  遺構・復元物]



手前のL字の道路の部分が陸地で、駐車場の部分に船を着けていたようです。

2022年01月22日 民部大輔猫髷
彦根城

まず開国記念館で城攻めビデオをじっくり観てから天守に行くと実際に自分が色々な角度から狙われるイメージが沸いて面白く感じました。

2022年01月07日 ハムハム右兵衛佐
彦根城



天守閣前の広場でお城をバックにひこにゃんと記念写真を撮ってもらいました。帰りに小さい写真は無料、大きい写真は希望者のみ千二百円で購入できました。

2022年01月01日 イオ右近衛中将
芹川(善利川)[彦根城  遺構・復元物]



築城に際して、北向きに流れていた芹川(善利川)を西向きに付け替えて大外堀とし、芹川と外堀の間には足軽組屋敷を置いて豊臣氏や西国大名への防衛に当たらせました。

2022年01月01日 イオ右近衛中将
足軽組屋敷 辻番所・旧磯島家住宅[彦根城  寺社・史跡]



芹川と外堀の間には足軽組屋敷が配され、細い道がところどころで喰い違っていますが、そんな喰い違いの四つ辻に大きく張り出した辻󠄀番所が現存しており、土日祝日の10時から16時まで一般公開(無料)されています。

隣接する旧磯島家住宅の玄関から辻󠄀番所内に入り、見張り窓から覗いてみると、通りを喰い違わせていることにより、まるで四つ辻の真ん中に立っているかのように、二方向の通りを遠くまで見渡すことができます。ガイドさんの説明によると、見張番は交代制だったため、磯島家の主屋を経由せずに通りから直接出入りできるよう出入口が設けられているとのことで、実際に開けて見せてもらえました。

また、旧磯島家住宅は足軽屋敷といっても長屋ではなく庭付きの一戸建、中二階に厨子まで備えた立派な造りで、さすがに譜代筆頭・彦根藩ともなると違うもんだなぁ、と感心するばかりでした。

現地に来るまでは、辻番所と旧磯島家住宅の存在しか知りませんでしたが、案内板や旧磯島家住宅に置かれたパンフレットを見ると、周辺には同じ善利組の足軽組屋敷がいくつも現存しています。それぞれ個人所有のため、外観のみで内覧はできませんが、土壁の防火壁の建物なども遺っていて、雰囲気があります。

2021年12月31日 イオ右近衛中将
外堀跡[彦根城  遺構・復元物]



外馬場公園は外堀を埋め立てて造られた公園で、北側の金亀会館との間の水路は外堀の名残と思われます。

2021年12月30日 イオ右近衛中将
旧池田屋敷長屋門[彦根城  遺構・復元物]



佐和口の東にある中級武家屋敷で、池田氏は伊賀者として召し抱えられたとされます。長屋門内部は無料公開(土日祝の9時~17時)されていて、馬の排泄物が流れ込む仕組みになっている馬屋が見られます。

2021年12月30日 イオ右近衛中将
米蔵跡[彦根城  碑・説明板]



米蔵跡は現在では梅林となっていますが、往時は幕府の預り米を収める米蔵が建ち並んでいて、松原内湖から内堀まで船で搬入し、内堀に面した埋門状の水門を通じて運び込んでいたそうです。

2021年11月15日 高森内蔵頭権平
彦根城

40年ぶりの彦根城。学生時代は、駅から歩いたので、城下町の賑わいを感じた。今回は車で表門近くまで進入。駐車場の料金が高く(1000円)、入場料を含めると2000円ほど。城は昔のまま。当時の甘い思い出が蘇った。

2021年11月12日 ともっち♪丹波守
彦根城



【彦根城屋形船】
屋形船にのってきました🎶

桜場有料駐車場前からの発着となります。予約時間には出発してしまいます!早めに集合しましょう!

この目線からの石垣もなかなかかとー💕鉢巻腰巻石垣をぐるるるるっー!と、見ることができます。船頭さんの説明も良い感じ🎶

当日は、平日小雨お昼頃だったからか、貸し切り状態に!(前後の時間にはお客様たくさんいましたよ)右行って見たり左行って見たりと、それはもう十二分に堪能させていただきました。

時間予約等は、ホームページにてご確認ください。
https://yakatabune.info/access/

因みに当日は桜葉駐車場一日1000円に置き朝8時半から博物館10時から石垣ツアー13時から屋形船と見学しました。

博物館いつも後にして行ってなかったので先に見学したのですが、ゆっくり堪能したい方はあとにしても良いかも?🤔

当日はイベントで使えなかったのですが、馬屋横の駐車場(こちらも一日1000円)に置いても、後々の移動が楽かもしれません。

2021/10月時点での情報です

2021年11月12日 ともっち♪丹波守
彦根城



【彦根城石垣探検ツアー】
開催期間
2021年10月25日(月)~2022年3月25日(金)の平日

※土日祝、年末年始(12/29~1/3)を除く
※上記期間中のお客様ご希望日に実施します。

彦根城石垣ツアーに行ってきました!細かく話してしまうと楽しくないかもなのでざっくりとー

ボランティアガイドの方と彦根城見学。普段では入れないとこから石垣を見る事ができました。私的にはこれだけで満足🎶私は知らない事多数なので、ガイドさんの説明も、とても楽しかったです。

有料1人3000円、要予約、平日のみ、二人以上での申込みです。天守、玄宮園料金込みでした。

足元が不安定なとこ行くので、それなりの服装、靴で!雨の時は、コース変更もありうるとの事です。その日時々のガイドさんの指示に従って見学するかたちとなりますので、よろしくお願い致します。

私は、解散が城有料エリア外でした。こちらは事前に相談してみてください。まだまだ見足りない!リア攻め、QRコードがまだだ!とか、なるかもや🤔💦…です。

他、変更等、注意事項等、多々あるかもなので、詳細はホームページを参考に、問い合わせの上申込みしてくださいね。
https://www.hikoneshi.com/jp/ishigaki-tour
2021/10月時点での情報です

2021年10月09日 長浜城年間王者!引退大学頭
彦根城



来週はグリーンライトアップです!by照明ディレクター

2021年10月09日 左近衛大将龍三
彦根城



久しぶりの箱根城、早く世界遺産になるといいですね!堀の水が琵琶湖の水を循環させているとのこと。堀の水も綺麗なのでいいと思います。上に上がるのがきつくなりました。

2021年09月13日 のんのん
彦根城



コロナ禍ですが、ひこにゃんに会えました。数年前の数時間待ちに比べるとガラガラでした。天守閣内はコロナ対策も徹底しており、消毒、検温、一方通行、靴ビニール袋は各自持ち帰りとなっていました。

2021年08月29日 【城郭道】たっきー
佐和口多聞櫓[彦根城  遺構・復元物]



中堀に構えられた佐和口は枡形門で、その両側には、多聞櫓が連なっていた。正面左側は、1767年の火災後に再建されたもので、重要文化財となっている。
右側は、明治初年に解体。1960年に再建され、中は開国記念館となっている。

2021年08月26日 乱会
彦根城

無料で楽しみたいとか、階段を登るのがつらい…という方には、彦根城博物館手前の登り石垣がオススメです。あまり高低差がない場所ながら、迫力の登り石垣が見られます。コロナ禍で海外遠征ができず、倭城ロスだという方にもオススメのスポットです。

2021年08月24日 【城郭道】たっきー
天守[彦根城  遺構・復元物]



【天守でのちょっとした楽しみ方】
天守は江戸時代に大津城(滋賀県大津市)から移築されたものです。天守内には移築された痕跡があるので、探してみるとおもしろいですよ。双眼鏡持参がおすすめです。

双眼鏡で天守の天井などを見ると変人扱いされて、周りからの目が気になるかもしれませんが、趣味の世界です。自分が没する時に後悔がないように、自分がやりたいようにやってみてください。見つけた時の気分は最高です。あ、他人にあまり迷惑をかけないでくださいね。ちなみに、一枚目の写真は天守一階階段付近の天井です。

2021年05月20日 【城郭道】たっきー
山崎郭跡[彦根城  遺構・復元物]

山崎曲輪は内堀内の最北端に構えられた曲輪で、直接松原内湖に面していたため波浪被害防止に周囲には高石垣が巡らされていた。
この車に構えられた山崎口の文は櫓門形式で、堀には木橋が設けられており、曲輪には三重櫓と二重櫓が一基ずつ構えられていた。

2021年04月06日 摂津守ぎょう
彦根城



彦根城
3/27登城。まず、JR彦根駅前の観光案内所にて資料、地図等を頂き、佐和山城の御城印を購入。案内所の方に駐車場、城下町の情報を聞く。案内所出て右斜めの井伊直政の銅像を撮影。兜の角が長いので構図には注意。

そのまま駅前お城通りの商店街を直進し、いろは松手前を左折、彦根キャッスルリゾート&スパの駐車場に停める。(1000円)いろは松まで戻り、佐和口多聞櫓と遠くに見える天守閣を撮影。いろは松を直進し佐和口多聞櫓を撮影。
入り口からなかなか壮大な建造物だ。櫓を通り抜けると右手に開国記念館があるので見学し、100名城スタンプとひこにゃんといいのすけの御城印を購入。馬屋を撮影。橋を渡り、チケット売り場へ。手前に登り石垣があるので見逃さない様に。入城券と御城印を購入。資料館は時間の都合でまたの時に。

表坂を上がると天秤櫓と落とし橋。橋の右と左で石垣の積み方が違うらしい。櫓内も入場できます。佐和山城も見えます。櫓を出て少し登るとお茶屋さん(聴鐘庵)に到着。お茶と和菓子を頂きました。(500円)時報鐘を撮影し、太鼓門櫓を抜け天守閣を撮影後、入場。思ったよりは広がったが、思った通り階段は急だった。至る所に鉄砲狭間と矢狭間があった。景色も良く琵琶湖も眺めることができた。

城を降りて西の丸、西の丸三重櫓を見学。落とし橋上から大堀切りを撮影。
さらに下って黒門、楽々円、玄宮園を撮影。お庭にはあまり桜がなく、見学は紅葉時期がよいかと。井伊大老像前で軽食後、多聞櫓から出て駐車場へ戻り、ひこにゃんのどら焼きを食べる。

駐車場より西へ向かい京橋に向かう。時間があればここも再度登った方が良さそうだが時間の関係上カット。夢京橋キャッスルロードに行く。城下町雰囲気を味わいながら、近江牛丼と近江牛焼丼を頂く。煮込みより焼きの方が明らかに美味しかったです。8分咲だったので来年は満開を狙って行きたいと思った。食後、急ぎで長浜城へ向かう。

2021年03月27日 ppy太政大臣Jungle
彦根城

バライチゴと言う雑種が自生している場所が有ります。観光PR対象ではないため、こっそり案内されているだけなので気付かないかと思いますが、ここだけの植物だそうです。

2021年03月27日 高梨宮内卿政頼
彦根城



さすがに国宝、かなりの規模で往時のままの姿で遺構が保存されてます。天守階段はかなり急なので、楽な服装で攻城した方がいいです。

2021年03月09日 柳生中務大輔三厳
彦根駅[彦根城  その他]



彦根城と佐和山城跡の最寄り駅です。
彦根城まで徒歩(かち)で15分くらいです。天守まではそこから10分くらい金亀山をあがります。

2021年02月22日 【城郭道】たっきー
埋木舎[彦根城  寺社・史跡]

埋木舎(うもれぎのや)は佐和口より外にある。安政の大獄や桜田門外の変などで有名な井伊直弼が青春時代を過ごした屋敷で今も残る。
直弼は14男で藩主になる可能性は低く、当主に一生面倒を見てもらう部屋住みとして過ごす覚悟で埋木舎と名付けた。
その部屋構えは1000石級武家屋敷である。

2021年02月22日 【城郭道】たっきー
太鼓門櫓[彦根城  遺構・復元物]

本丸への最後の関門としての役割がある門。櫓門背面は壁面が開放され廊下となっている珍しい形である。城門に太鼓を置いた方から太鼓門櫓と言われるようになったと伝わる。

2021年01月25日 【城郭道】たっきー
馬屋[彦根城  遺構・復元物]



中へは無料で入ることができます。
日本城郭で唯一残っていて重要文化財に指定されている馬屋です。
夜のライトアップがとても綺麗です。

2020年12月28日 【城郭道】たっきー
宗安寺[彦根城  寺社・史跡]



宗安寺には木村長門守重成の墓があります。
重成は大坂夏の陣で豊臣方として戦いました。
5月6日、重成は道明寺、誉田の戦いで後藤又兵衛が討死したことを知らずに徳川勢と戦いました(八尾、若江の戦い)。その結果、藤堂高虎隊の一部を破りましたが、井伊直孝隊の攻撃を受け、討死しました。その翌日、大坂城は落ち、豊臣家は滅びました。

2020年11月22日 さすらいの右京大夫よこちゃん
彦根城



朝から登城して全体を見て回るまでに約3時間かけて巡りました。城郭自体がかなり広範囲で残っているので、至る所にかつての面影が残っていて見応えがありました。

2020年10月21日 【城郭道】たっきー
撮影スポット[彦根城  その他]



彦根駅から彦根城を望むことができます。彦根駅から彦根城へ行く際にここから彦根城を望むのが良いかもしれませんね。小さく見えますが、立派です。

2020年09月21日 【城郭道】たっきー
腰巻石垣[彦根城  遺構・復元物]



二の丸の腰巻石垣。とても綺麗に残っています。行った時はライトアップされていてさらに綺麗になっていました。彦根城のひとつの見所ですので、是非、じっくり眺めてください。

2020年09月20日 高松遠江守
彦根城



限定御城印が欲しかったので、事前予約して夜18時から訪問しました

2020年08月21日 忍び
彦根城



今日は、黒門から登城しました。三重櫓は、貸し切り状態でした!外は猛暑ですが、中は気持ちいい風が通っていましたよ。玄宮園の白い蓮もまだありました。

2020年08月14日 近江守真桜
彦根城

初めて夏に行きました。熱中症には注意が必要です。それから蚊ですね。私的には桜の季節の方がお薦めです。長浜城をはしごするのもお薦めします。

2020年08月14日 源近江守頼光
彦根城

夏場は入り口すぐの階段に蚊が多いので登城する際は注意したほうが良いです。

2020年07月23日 【城郭道】たっきー
井伊直政公之像[彦根城  その他]

彦根駅前に立派な井伊直政公の銅像があります。彦根城から徒歩15分のところにありますので、ぜひ行ってみてください。

2020年03月11日 和泉 権中納言 元就
彦根城



コロナの影響で、建物の中には一切入れません。
ですが普段、開国記念館にある100名城スタンプは表門の入館券窓口の横にあるので押印可能です。(無料エリア)
御城印も購入出来ます。

2020年03月06日 とも左衛門佐
彦根城

明日、2020年3月7日(土)から新型コロナの影響で天守は封鎖とのことです。
すでに博物館は閉鎖です。
行かれる方は事前にお調べくださいm(__)m

2020年02月28日 天道式部卿早雲
コインパーキング[彦根城  駐車場]



お城まで徒歩15分ほど
昼間最大220円
周辺に同じようなコインパーキングあります。


2019年07月20日 みい
彦根城

グーグルマップで検索すると、とんでもないところを目的地にされます。
天守を目指してください

2019年07月14日 長月河内守十六夜
彦根城



天守は足場架かって写真映えしないけど、西の丸三重櫓がめちゃカッコいい‼️重厚かつ軽快な造り、櫓からの見晴らし、最高❗️
以前登城時は公開してなかったので、これだけで来て良かったくらい👍
西の丸の大堀切や登り石垣も素晴らしい。
天秤櫓石垣の左右の積みかたの違いもはっきりわかり、石垣満喫旅となりました。

2019年07月08日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
彦根城

【バイク用駐輪場】
バイクで行く場合、表門前の二の丸駐車場に駐めることが出来ます。バイクを専用スペースに駐めて、係のおばちゃんに100円払えばOKです。ただ、二の丸駐車場の駐輪スペースが一杯だと、桜場駐車場の方に案内されます。駐輪代は同じです。専用スペースがないので、係のおばちゃんの指示に従って下さい。

2019年07月08日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
彦根城

愛煙家のめぐら〜さん達、彦根城本丸は、禁煙エリアになっています。
天秤櫓の手前の"鐘の丸"に喫煙スペースがありますよ。桜や紅葉の木の下にあるから、これからの暑い日には丁度良い感じです。

2019年06月29日 課長大和守Ver.B
櫓台跡[彦根城  遺構・復元物]



玄宮園奥の金亀公園テニスコートに隣接する角に櫓台跡の石垣が残っています。
過去の絵図にも二重櫓が描かれていたことが玄宮園のパンフにも記載されています。
ただ堀に面した石垣が櫓台を思わせる形状な所から更に野面積みの石垣による別の台がというモノなので、もしかすると本来の櫓台上に後世何かを築造したのか?という風にも思いました。

2019年05月27日 野呂利左衛門督休三
中堀[彦根城  遺構・復元物]



玄宮園からの中堀。今はない松原内湖からすぐの位置になります。この堀は掘ったのでしょうが、この広さ、水の量、在りし日を偲ぶべくはありませんが、松原内湖の大きさを偲べる気がします。

2019年05月26日 野呂利左衛門督休三
玄宮園裏の石垣と堀[彦根城  遺構・復元物]



玄宮園の庭園裏です。同園は松原内湖に面していました。対岸は松原内湖の中葭と呼ばれる島でした。松原内湖は戦時中の昭和十九(1944)年から干拓が開始されています(昭和二十三年竣工)。

2019年05月26日 野呂利左衛門督休三
外堀跡[彦根城  遺構・復元物]



金亀公園のある場所は松原内湖の一部でした。内湖は黒門のところまで入り込んでいました。この石垣が二の丸の端になります。松原内湖は昭和十九(1944)年からの干拓事業で消滅しています。金亀公園は日本の歴史公園百選、日本の都市公園百選に選ばれています。

2019年05月26日 野呂利左衛門督休三
「埋堀」の由来[彦根城  碑・説明板]



駐車場の看板ですが、面白い情報が乗っていたので載っけました。この辺りには盲亀が淵と呼ばれる淵がありましたが、彦根築城の際にでしょうか埋め立てられ、それが元でこの辺りを埋堀と呼ぶようになったそうです。

2019年05月26日 野呂利左衛門督休三
旧白壁町の屈折(どんつき)[彦根城  碑・説明板]



多くの町々の道の筋に「どんつく」と呼ばれる屈折があったそうです。屈折を避けることで敵の直射を避けることを目的としていました。白壁町は裕福な住人が多く、白壁の町並みだったことからその名がついたとのことです。

2019年05月26日 野呂利左衛門督休三
高宮口御門跡[彦根城  碑・説明板]



外堀の御門の一つ。堀を渡った相手は、ここで右手にあった門を潜って三の丸に入ることになる。さらに三の丸に入ってすぐが突き当りで、左折しなければならなかった。

2019年05月26日 野呂利左衛門督休三
鈴木家長屋門[彦根城  寺社・史跡]



中級家臣の鈴木家の住宅の長屋門です。天保七(1836)年頃は350石の俸禄だったそうです。その当時の当主の重用は藩校弘道館の物主(事務長)や書物奉行、中屋敷留守居を歴任しています。この長屋門は幕末の文久二(1862)年の築だそうです。門の右に一部屋、左に三部屋あり、中間や女中の部屋、物置として用いられたそうです。

2019年05月26日 野呂利左衛門督休三
黒門跡[彦根城  遺構・復元物]



かつては二層の櫓門がありました。その写真が黒門そばの券売所に掲示してあります。橋は当時は土橋ではなく木橋でした。金亀公園になっている部分は当時は松原内湖の一部で黒門そばまでがそうでした。土橋になったことから、そこを境に左右で堀の水位が変わってしまっています。

2019年05月26日 野呂利左衛門督休三
切通口御門跡[彦根城  碑・説明板]



彦根キャッスルリゾート&スパの裏にあります。外堀の御門の一つ。参勤交代の際にはここを行列が通ったとか。切通口御門跡については2016年度に調査が行われ、石垣の基部と礎石が見つかっています。

2019年05月26日 野呂利左衛門督休三
外堀跡[彦根城  遺構・復元物]



道の反対側、彦根みやげ本陣脇。今はただの溝(でもそれなりに深い)。多分行き止まりっているところで左に折れ、切通口を過ぎたところでまた南西に向かいます。

2019年05月26日 野呂利左衛門督休三
外堀跡[彦根城  遺構・復元物]



写真奥、彦根城に向かう道のところに階段があり、そこから下に降りられます。戦後にマラリア対策で埋められたため浅いです。切石積みもその時のでしょうか。

2019年05月05日 まるき〜出雲守
チケット売り場[彦根城  その他]



チケット販売は8時20分から〜

2019年05月01日 陸奥守仙臺むすび丸JUN
登り石垣[彦根城  遺構・復元物]



大手門そばの登り石垣。大手門枡形の説明板のそばにあるので見つけやすい。

2019年05月01日 陸奥守仙臺むすび丸JUN
登り石垣[彦根城  遺構・復元物]



西の丸と出曲輪の大堀切から西側に位置する登り石垣。けっこう保存状態がよい。

2019年04月26日 野呂利左衛門督休三
宗安寺[彦根城  寺社・史跡]



元は上野国の安国寺でした。井伊直政が箕輪城主のときに直政の正室が両親の菩提寺として再興し、その後井伊家の転封と共にこの地に遷りました。
本堂は長浜城の御殿の移築、赤門は佐和山城の移築と伝えられます。朝鮮通信使も宿泊しており、黒門はその時の勝手口と伝えられています。また大坂夏の陣で討死した豊臣方の木村重成の墓もあります。

2019年04月26日 野呂利左衛門督休三
金亀会館[彦根城  関連施設]



藩校の建物を移築しています。国の指定有形文化財でもありますが、老朽化のためか立入禁止です。説明板も劣化して読み取ることができません。

2019年04月26日 野呂利左衛門督休三
外堀土塁[彦根城  遺構・復元物]



彦根城も外堀が廻っており、それに伴って土塁がありました。しかし、現在ではこのあたりしか土塁は見当たりません。

2019年04月23日 龍馬備中守【】
彦根城



桜満開の彦根城☆徳川四天王の1人♪井伊直政が関ヶ原の戦い後その奮戦を認められて近江北東へ18万石で転封☆元々は佐和山城に入城するも古い縄張りまた三成を嫌い彦根山に城を築く☆代々井伊家の城となる☆別名・金亀城とも呼ばれ天守は国宝指定された5城内の1つ☆
【見所】
①現存する天守☆
②厳重な石垣に囲まれた枡形門☆
③井戸曲輪の壮大な石垣☆
④朝鮮より習得した技術の登り石垣☆
⑤春は桜♪(佐和山口がオススメ♪)

2019年04月07日 黒にゃご 讃岐守
彦根城

QRスタンプは天守入り口手前の建物の受付窓口ガラスに貼ってあります。
入場規制中は列に並ばさせられるので、うっかり通り過ぎないように注意が必要です。

2019年02月16日 さっきー
彦根城

天守見学前に撮らされる写真。無料の小さい写真は、5%割引券付きです。天守前売店と城近くのホテル売店で使えます。

2019年02月13日 箱゜民部卿 沙樹
彦根城

自分のスマホ(Xperia SOV36)では普通に晴れの午前中でもQRコード読み取りました。スマホにもよるのかも?天守見学前に撮られる記念写真は1300円でした(笑)断る事もできますけどね

2019年02月12日 芋植尾張守湧水☘️【植月】
彦根城

QRコードは設置されている位置が高く、おまけにガラスの内側に入っているので、ガラスが反射して読み取り辛かったです。
もう少し位置を下げて頂けると多少は読み取り易くなるのではないでしょうか?

2019年02月10日 n
彦根城

QRコードは上方から撮ると入りやすいですよ。

2019年02月10日 わっきー刑部卿
彦根城

国宝五城のQRコード、午前中は太陽光の反射で読取りにくいかも。

私の前にいたの城めぐ姫様も苦労されてました。
掲示位置が高めなのもあるのかな。


2019年01月28日 てっちゃん摂政@京都
彦根城

100名城スタンプは開国記念館でがお勧めです。こちらだとシャチハタスタンプなのできれいに押せますがお城の入場券売り場にあるのは古い従来タイプなので失敗する可能性があります。これから押す方は是非。

2019年01月19日 ダイキチ
彦根城

地元民です。春や秋の行楽シーズンも良いですが、ゆっくり楽しみたい方は、人が少ない12月〜2月の時期がおすすめです。ただし、降雪の可能性もあるので、天気予報に注意を。
あと、季節に関係なく、城内の移動には、石段の山道を登り降りする必要があり、それなりに体力が要ります。夏などは、体調を整えて入城しないと熱中症になる場合もあるので注意を。足元は、可能なら、スニーカー等の歩きやすいものを推進。

2018年05月04日 源陸中守@ポンコ2…連勤了
彦根城

漆喰修理のため、しばらく天守が一部見えなくなるようです。

以下京都新聞ニュースより

昨年10月の台風21号ではがれ落ちた国宝彦根城天守と付け櫓、多聞櫓の漆喰を塗り直す修理を5月7日から始まり、天守北側の黒門山道が通行止めとなるほか、天守南側に足場を組むため、工事が完了する11月末まで南側から天守が見えなくなるそうです。

修理するのは、漆喰が剝落した多聞櫓北面66平方メートルと、漆喰が浮いてはがれ掛かっている天守3階南面22平方メートル。

すでに仮設足場などの資材搬入を始めており、7日から足場の設置を開始、5月中旬から施工を始める予定。14~19日の間は、天守から西の丸への通路も通行止めとなるそうです。

2018年05月04日 ☘️ぷ~太郎
彦根城

彦根城の御朱印(入城記念符)は彦根城管理事務所(表門入口)の券売所横の窓口でいただけます。
ひこにゃんは、開国記念館入口や玄宮園など所々に、出演場所と時間がはりだされています。
天守内部を観覧されるさいは、大型連休など祭日は、昼前から天守前に行列が出来ています。

2017年05月27日 若江河内守國助93.8%
彦根城

追記
二の丸駐車場は彦根城築城410年祭開催期間中は自動車の利用はできません。
二の丸駐車場にはお土産屋さんがあります。
バイクと自転車は停められます。


2017年05月27日 若江河内守國助93.8%
彦根城

彦根城築城410年祭開催期間中(平成29年3月18日から平成29年12月10日)は、観覧料金が高くなってます。
彦根城共通券(玄宮園・開国記念館を含む)が大人1000円です。
ICOCAで買うと一割引でした。

100名城スタンプは二の丸駐車場からすぐの開国記念館にあります。スタンプ押すだけなら開国記念館の入場料は必要ないですが、彦根城の入場券で開国記念館も入れますので入ってもいいかも。
(^^)v

2017年05月08日 山城守たか
彦根城

2017年は築城410年祭として来城記念に御朱印をいただけます。が、普通に入城券を買うともらえませんので。入城券を買う際に「御朱印ください」と一言添えてください。

2017年04月13日 織田上総介晃司
彦根城

彦根城天守は破風の技巧を凝らし、花頭窓を配した華麗な天守。

天秤櫓と西の丸三重櫓は内部を公開してるのでぜひとも見てください。

2017年02月08日 青き巨星弾正少弼かみ
彦根城

お城メダルを収集している方へ、本丸の売店にあります。
3種類です。ひこにゃんと彦根城柄と何故かスティッチ柄もあります。
3種類で1400円。
買いました。

2016年12月30日 まるき〜出雲守
彦根城

天守内に入城の際、自分の靴をビニール袋に入れて手に持っての見学となるのであまり大きな靴や重い靴を履いて来ないのがイイかも…
人気の天守、急な階段で渋滞しています。最上階に行って戻って来るのに30分程かかりました。特にコレと言って何もないのだが…ま、上に登るのはみんな好きですからね

今日気がついたのですが…天守内外側に破風のある所の廊下はよーくみると足元が緩やかな山状になっています。表の破風の形の影響か…?
多分誰も気づかない細かい事です。
冬は足の裏が冷えますので厚めの靴下を履いておくのが良いと思いまーす。(=゚ω゚)ノ

彦根城と庭園入城に600円
駐車場からは遠いですが、個人的に北側の山崎曲輪より黒門〜観音台方面から攻めるのがオススメ〜!


2014年07月06日 ŧ‹”ŧ‹”。
彦根城

本日、彦根市教育委員会文化財課の
主催による『彦根城探検隊』に参加してきました。
学芸員さんによる彦根城の縄張りと石垣の説明。
そして、非公開部分の散策と約2時間半の内容でした。
今回は、通常は下からしか見られない
登り石垣を間近で見られたり
実際に石垣を低いところですが登ったりもしました。
説明によると、彦根城は山城と平城の中間
平山城で、土塁の側面に石垣を設けた石塁を多用し
登り石垣も、竪堀の側面が土ではなく石垣で作ってあるのが特徴。
城内には、5ヶ所の登り石垣があります。
また、西の丸の大堀切の下から見上げる
三重櫓は、迫力満点でした。
近代城郭の中に、山城的要素の竪堀や切岸。
天守も現存天守で、ついそちらに目がいきがちですが
非常に攻めにくい縄張り構造を自身が攻めるなら
と思って登城されてはいかがでしょうか?
本丸までは、至難の技です。
参加費は、保険料の¥100のみ
いままでで1番安く、彦根城に入場できました。


2013年12月01日 クッキー伊予守
彦根城

彦根城「玄宮園」のライトアップの期間を間違えて記載してしまいました。
ライトアップ12月1日本日迄です。入場は18時からです。
申し訳ありません。

2013年09月07日 中務卿一之介
彦根城

二度目の登城で天守閣に入れました。15時過ぎに行きましたが、そのくらいの方が落ち着いて見られるかもしれません。

彦根のご当地グルメの近江ちゃんぽんは、醤油ベースであっさりしている上、野菜たっぷりでオススメです。入った店では、異常に大きい入れ物に入った酢が置いてありました。

2013年03月20日 婆裟羅褫顕近江守推参
彦根城

「城の変遷から見る信長の城・秀吉の城・徳川井伊の城」
戦国~江戸の城郭についてのシンポジウムが23日13時彦根城博物館で開かれる模様。
安土城考古博物館、長浜城歴史博物館の3館による県内城郭関連博物館連携講座の一環だそうです。

2013年02月24日 慶 士郎
彦根城

彦根城は100年間に大きくなった木々が伐採されて石垣が見えてます‥「山の上にお城」ってイメージだったと思いますが‥実は「石垣の上にお城」なんですよね(笑)僕が好きな彦根城の石垣は‥
【内堀の縄張り】
大手門橋から表門橋の間の石垣は円みを帯びた2段の石垣、京橋から敵が侵入して西郷長屋門辺りから見たら表門橋が見えない‥しかも2段目の石垣に城壁があったなら銃座から狙われる‥それだけでなく頭上にある鐘丸も円みを帯びた石垣でそこからも銃座って考えると敵は身動き出来ないでしょうね(笑)

2013年01月23日 ぽえぞお弾正少弼黄金旅程
彦根城

四度、登城。いずれも車で大手前駐車場に駐車!
ひこにゃん人気で2度は天守登楼断念しました。
遺構も素晴らしく縄張りも巧みで言うこと無しです(*^∇^*)
ひこにゃんのイベント終了後暫くして博物館裏を歩く進行のお姉さんとジャージTシャツ姿のお兄さんを発見。お兄さんがひこにゃんの魂だと思いました(‾∀‾)

お金に余裕ある方は市内の『千成亭』さんでお食事&お土産購入がお勧めです。2階レストランで近江牛を堪能し、お土産には1階の販売店で『干肉(ビーフジャーキー)』を購入!

2012年12月16日 
彦根城

さすが現存。重厚感が違いますね。階段がめちゃくちゃ急傾斜で、それもまた現存の醍醐味ですね。楽しいです。これほとんど梯子だよね?みたいな。
井伊の赤備えの甲冑も格好良かった!

2012年05月14日 傾奇揚げ仙兵衛
彦根城

土日祭日は天守入場規制
一時間待ちも
天守が小さい割に観光客が多すぎる

2012年03月01日 慶 士郎
彦根城

一ヶ月間(2012年2月)の彦根城城番の役、大役ながら勤めさせて戴きました。再び我が領地に戻り領民の為に…津谷の地を護らねば(笑)

2012年02月01日 慶 士郎
彦根城

陸前から10日間の遠征で城番を仰せつかりました。津谷館城主ですが、2月は彦根城城番の役、名乗らせて御奉公に励みます(^_^)v

2011年07月23日 摂政M三郎
彦根城

国宝の天守、御殿、庭園、長大な堀と石垣、正面の虎口と多聞櫓群など随所に見所のある、まさに譜代筆頭井伊家の居城にふさわしい平山城です。しかし、注目したいのは、鉢巻、腰巻石垣や切岸などの採用によりコスト縮減と工期短縮を可能とし、財力を投入すべき箇所とそれ以外を峻別していると思われる合理的な施設配置です。また、本丸への登城時には、一旦南北の郭に入り、堀切に渡した橋を経由する構造です。有事に橋を落とせば主郭は完全独立して籠城できる構造で、時を稼げば救援を期待できる徳川系ならではの工夫でしょうか

2010年09月19日 古楽侍従広家
彦根城

石垣の転用については、疑問視が提示されている。荒神山から切り出されたものが多く、周辺の城に石垣が残っている事もその理由の一つ。

2010年07月21日 徳川内大臣源朝臣康武
彦根城

[武将像]井伊直政像
彦根駅前に鎮座。
城跡には、井伊直弼像がある。
ひこにゃんサイコー

彦根城の周辺スポット情報

 天守(遺構・復元物)

 米蔵跡の埋門(遺構・復元物)

 登り石垣(遺構・復元物)

 京橋口門跡(遺構・復元物)

 旧西郷屋敷長屋門(遺構・復元物)

 外堀土塁(遺構・復元物)

 鉢巻腰巻石垣(遺構・復元物)

 礎石跡(遺構・復元物)

 天秤櫓(遺構・復元物)

 佐和口多聞櫓(遺構・復元物)

 登り石垣(遺構・復元物)

 登り石垣(遺構・復元物)

 太鼓門櫓(遺構・復元物)

 西の丸三重櫓(遺構・復元物)

 登り石垣(遺構・復元物)

 登り石垣(遺構・復元物)

 鉢巻石垣と腰巻き石垣(遺構・復元物)

 馬屋(遺構・復元物)

 玄宮園(遺構・復元物)

 外堀跡(遺構・復元物)

 大手山道(遺構・復元物)

 大手門跡(遺構・復元物)

 山崎郭跡(遺構・復元物)

 山崎御門跡(遺構・復元物)

 船町口門跡(遺構・復元物)

 黒門跡(遺構・復元物)

 外堀跡(遺構・復元物)

 外堀跡(遺構・復元物)

 玄宮園裏の石垣と堀(遺構・復元物)

 中堀(遺構・復元物)

 落とし橋(遺構・復元物)

 櫓台跡(遺構・復元物)

 西郷邸表門(遺構・復元物)

 着見櫓(遺構・復元物)

 土橋(遺構・復元物)

 表御殿(遺構・復元物)

 出丸(遺構・復元物)

 腰巻石垣(遺構・復元物)

 中堀(遺構・復元物)

 旧池田屋敷長屋門(遺構・復元物)

 内堀(遺構・復元物)

 木俣屋敷跡(遺構・復元物)

 旧脇家屋敷跡(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 鐘の丸(遺構・復元物)

 登り石垣(遺構・復元物)

 本丸(遺構・復元物)

 西の丸(遺構・復元物)

 水手御門虎口(遺構・復元物)

 井戸曲輪(遺構・復元物)

 長橋口御門(遺構・復元物)

 芹川(善利川)(遺構・復元物)

 舟入跡(遺構・復元物)

 松原御蔵(遺構・復元物)

 城下町(遺構・復元物)

 旧彦根藩武家屋敷-大村家住宅(遺構・復元物)

 塩櫓跡(遺構・復元物)

 裏御門跡(遺構・復元物)

 井伊直弼大老銅像(碑・説明板)

 佐和山城からの移築石垣(碑・説明板)

 米蔵跡(碑・説明板)

 油懸口御門跡(碑・説明板)

 彦根御城下惣絵図(1836年)(碑・説明板)

 切通口御門跡(碑・説明板)

 高札場跡(碑・説明板)

 高宮口御門跡(碑・説明板)

 旧白壁町の屈折(どんつき)(碑・説明板)

 「埋堀」の由来(碑・説明板)

 井伊直弼生誕地(碑・説明板)

 家老 岡本黄石屋敷跡(碑・説明板)

 オニバス自生地(碑・説明板)

 寺町・紺屋町(碑・説明板)

 家老 脇家屋敷跡(碑・説明板)

 宗安寺(寺社・史跡)

 玄宮園(寺社・史跡)

 足軽組屋敷 辻番所・旧磯島家住宅(寺社・史跡)

 埋木舎(寺社・史跡)

 鈴木家長屋門(寺社・史跡)

 圓常寺(寺社・史跡)

 護国神社(寺社・史跡)

 旧広田家(納屋七)住宅(寺社・史跡)

 白蛇之社(寺社・史跡)

 長松院、井伊直政の灰塚(寺社・史跡)

 瀧谷家住宅(寺社・史跡)

 彦根城管理事務所(スタンプ)

 西の丸便所(トイレ)

 公衆トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ (トイレ)

 二の丸有料駐車場トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 桜場有料駐車場(駐車場)

 二の丸有料駐車場(駐車場)

 コインパーキング(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 金亀会館(関連施設)

 彦根城博物館(関連施設)

 開国記念館(関連施設)

 玄宮園(関連施設)

 楽々園(関連施設)

 彦根市立 彦根観光センター(関連施設)

 俳遊館(関連施設)

 入城口切符売り場(関連施設)

 井伊直政公之像(その他)

 チケット売り場(その他)

 撮影スポット(その他)

 彦根駅(その他)

 彦根港(その他)

 彦根球場(その他)

 城まる君像(その他)

 展望台(その他)

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