城生柵(じょうのさく)

城生柵の基本情報

通称・別名

(城生遺跡)

所在地

宮城県加美郡加美町城生字裏他

旧国名

陸前国

分類・構造

古代城柵

天守構造

なし

築城主

不明

築城年

奈良時代

主な改修者

主な城主

不明

廃城年

遺構

井戸跡、門跡、竪穴住居跡

指定文化財

国史跡(城生柵跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

中新田城(宮城県加美郡)[1.2km]
名生城(宮城県大崎市)[4.9km]
岩出山城(宮城県大崎市)[8.1km]
古川城(宮城県大崎市)[8.9km]
宮崎城(宮城県加美郡)[9.1km]
宮沢城(宮城県大崎市)[9.2km]
大衡城(宮城県黒川郡)[13.8km]
高清水城(宮城県栗原市)[16.3km]
彫堂七館(宮城県遠田郡)[18.0km]
千石城(宮城県大崎市)[19.6km]

城生柵の解説文



城生柵跡(じょうのさくあと)は、宮城県加美郡加美町城生にある奈良時代の城柵遺跡。「城生」は現在の地名によるもので、かつてのどの施設に比定するかについては諸説ある。国の史跡に指定されている。

概要 

1955年(昭和30年)に近くの菜切谷廃寺の調査の際に遺跡の存在が確認され、1976年(昭和51年)以後本格的な調査が行われた。

発掘調査の結果、遺跡は東西350メートル・南北370メートルの規模で周囲に溝を伴った築地が巡っていたことが判明した。敷地内には竪穴建物・掘立柱建物・倉庫の礎石跡などがみられ、北面築地の中央部では八脚門の跡が検出された。他に瓦や土師器・須恵器・鉄器なども出土している。

この遺跡が何らかの官衙の跡であることは確実であるものの、どこの官衙に比定されるかについては諸説がある。玉造柵説・色麻柵説・賀美郡家説などが出されたものの、いずれも反論も出されており、結論が出されていない。だが、その遺構の状況から多賀城などと並んで律令国家による東北地方支配の拠点の1つであったとみられている。

参考文献 

  • 中島直「城生柵跡」(『宮城県百科事典』(河北新報社、1982年) ISBN 978-4-873-41001-2)
  • 桑原滋郎「城生柵跡」(『国史大辞典 15』(吉川弘文館、1996年) ISBN 978-4-642-00515-9)
  • 『図説日本の史跡 第4巻 古代1』、同朋舎出版、1991

城生柵の口コミ情報

2022年08月23日 おりゅう参議
城生柵



くまなく歩いたわけではないですが、現地では案内板以上の情報は不明でした、

2021年11月16日 ファン掃部助トム治郎
城生柵



古川城、名生城とあわせて歩いてめぐりました。西古川駅まで歩いて一時間くらい、途中中新田城にも寄ることができます。金星と土星、月がきれいな晩でした。近くに菜切谷廃寺があり、奈良時代のが大崎が偲ばれます。

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