船岡城

(ふなおかじょう)

通称・別名

芝田(柴田)城、舟岡(船岡)要害、四保館

所在地

宮城県柴田郡柴田町船岡館山

城郭構造
山城
天守構造
築城主
芝田次郎?
築城年
天文年間(1532〜1555)
主な改修者
主な城主
芝田氏、屋代氏、原田氏、柴田氏
廃城年
遺構
曲輪、土塁、空堀
指定文化財
再建物
碑、説明板
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船岡城口コミ情報

磐城守常陸入道ねんさい様[2017年03月26日]
 1671年の伊達騒動当事者の原田甲斐宗輔が入っていた城で有名です。「樅の木が残った」のモデルになった木が残っています。
 伊達騒動で原田家の男子全員が死罪となり断絶した後、柴田宗意が舟岡要害に入ります。
 柴田宗意は伊達騒動のもう一方の当事者柴田外記朝意の子です。柴田朝意は土佐久礼城主佐竹親直の子で母は長宗我部元親の娘になります。朝意は元親の孫になります。父佐竹親直は大阪の陣で長宗我部盛親に従い討ち死にし、大阪城落城後に母と朝意は伊達家に捕らえられて仙台に行きそのまま伊達家に仕えます。重臣柴田氏の婿養子になり柴田氏の名跡を継いで柴田朝意と名乗ります。
 そして運命の伊達騒動をむかえます。騒動の審問のため幕府から出頭を命じられ、子の宗意に遺書といえる内容の書状に送ります。決死の覚悟で江戸に行き大老酒井忠清と老中のもと審問を受けます。審問中に原田甲斐が突然伊達宗重を切りつけ、朝意は甲斐と斬り合いなり重傷を負い、当日死亡します。
 柴田朝意以降の柴田家は幕末まで舟岡要害に入り続きます。

片倉弾正忠七之助様[2013年10月07日]
ぼんやり〜ぬ 見たかたはご存じの通りに観音様の内部入れません…
震災の影響です

サムライ大宰少弐はる様[2010年10月04日]
柴田町・大河原町内のR4沿いで落城できます船岡城跡は船岡城址公園になっており、桜100選に選ばれている場所です。4月中旬頃が見頃ですよ

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