淀城(よどじょう)

淀城の基本情報

通称・別名

てん城、新淀城

所在地

京都府京都市伏見区淀本町(淀城跡公園)

旧国名

山城国

分類・構造

梯郭式平城

天守構造

連立式望楼型[5重5階地下1階/1623年築/焼失(落雷)]

築城主

松平定綱

築城年

元和9年(1623)

主な改修者

永井尚政

主な城主

松平氏、石川氏、稲葉氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、石垣、天守台、横堀(水堀)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

淀古城(京都府京都市)[0.6km]
勝龍寺城(京都府長岡京市)[2.2km]
山崎城(京都府乙訓郡)[3.8km]
楠葉台場(大阪府枚方市)[4.7km]
向島城(京都府京都市)[5.2km]
寺戸城(京都府向日市)[5.5km]
物集女城(京都府向日市)[6.8km]
伏見城(京都府京都市)[6.8km]
槇島城(京都府宇治市)[7.3km]
革嶋城(京都府京都市)[8.0km]

淀城の解説文



淀城(よどじょう)は、山城国久世郡淀(京都府京都市伏見区淀本町)にあった日本の城。現在は本丸の石垣と堀の一部が残っている。江戸時代には久松松平家、戸田氏、稲葉氏など譜代大名が居城した。

概要 

淀は「与渡津」(淀の港の意)と呼ばれ、古代には諸国からの貢納物や西日本から都に運ばれる海産物や塩の陸揚げを集積する商業地であった。また、河内国・摂津国方面や大和国方面から山城国・京洛に入る要衝であった。

淀城は、宇治川(旧河道)と木津川(旧河道)の合流点に形成された島之内、現在の京都市伏見区の京阪電気鉄道淀駅の南西に位置する。安土桃山時代、豊臣秀吉が、側室茶々の産所として築かせた淀城は桂川と宇治川(旧河道)の合流点に挟まれた納所、現在の位置より北へ約500メートルの位置にあった。こちらは、鶴松死後に拾丸誕生後養子となっていた豊臣秀次が謀反の疑いを掛けられた際、城主であった木村重茲の連座とともに廃城とされた。

江戸時代に、木幡山にあった徳川氏の伏見城の廃城により、その代わりとして江戸幕府が松平定綱に命じて新たに築かせた。以降は、山城国唯一の大名家の居城として明治に至った。

沿革 

『徳川実紀』によると元和9年(1623年)8月、2代将軍徳川秀忠からの命で松平定綱が淀藩へ所領3万5千石で入部を命じられた。その後『淀下津町記録』によると河村右衛門の屋敷跡に江戸幕府の援助によって築城された。松平定綱は淀城の最初の城主となる。また『淀古今真佐子』によると、廃城となった伏見城の資材を転用、二条城の天守を移築し築かれたと伝えられている。城郭は寛永2年(1625年)にほぼ完成した。翌、寛永3年(1626年)6月には徳川秀忠が、また同年8月には徳川家光が淀城の縄張りを調べに来城したようである。

寛永10年(1633年)に松平定綱は美濃国へ移封され、永井尚政が10万石で入部し城下町の拡張と侍屋敷の造営が行われた。城下は当初池上町と下津町の2町だったが、寛永14年(1637年)から寛永16年(1639年)にかけて、淀城へ向けて北流していた木津川の末端部を西流させる付け替え工事が行われ、新町が加わった。

その後、寛文9年(1669年)には石川憲之、正徳元年(1711年)には戸田光熈、享保2年(1717年)には松平乗邑が6万石で入部した。その松平乗邑も下総国に転じた後は享保8年(1723年)に稲葉正知が10万石で城主となったのち、幕末まで稲葉氏が城主を務めた。宝暦6年(1756年)の落雷により天守や建物の大半が焼失し、徳川幕府は再建に1万両を淀藩に貸し付けたようだが、天守や本丸御殿は再建されなかった。

幕末、旧幕府軍は鳥羽・伏見の戦いに敗北して淀城に籠もろうとするが、淀藩に拒絶された。淀城は大坂城などとともに西国に睨みを利かすために築城されたが、皮肉にも官軍の勝利に一役買うことになった。この時の兵火で淀城の城下町と城内の一部が焼亡してしまった。

淀藩の廃藩に伴い、早くから淀城は廃城となる。淀城東部にあった巨椋池の干拓によって地形が大きくかわり、本丸の一部を除いてすべて破壊された。さらに、本丸南東部を京阪電気鉄道(京阪本線)が貫通するに及び、淀城の消滅は必至となるが、このころになってようやく保存運動が高まり、今日は本丸周辺の整備が進み、開発の手を免れた石垣及び堀が保存されている。

2022年2月28日、京都競馬場の淀寮内にて城跡が発見された。 軟弱地盤に対応するための蝋燭基礎という形でかさ上げする工事された跡や鳥羽伏見の戦いで火災にあった跡が確認された。鳥羽伏見の戦いの貴重な資料となる。

歴代城主

歴代21代城主
何代城主 初代城主 2代城主 3代城主 4代城主 5代城主 6代城主 7代城主
城主名 松平定綱 永井尚政 永井尚征 石川憲之 石川義孝 石川総慶 戸田光熈
何代城主 8代城主 9代城主 10代城主 11代城主 12代城主 13代城主 14代城主
城主名 戸田光慈 松平乗邑 稲葉正知 稲葉正任 稲葉正恒 稲葉正親 稲葉正益
何代城主 15代城主 16代城主 17代城主 18代城主 19代城主 20代城主 21代城主
城主名 稲葉正弘 稲葉正諶 稲葉正備 稲葉正発 稲葉正守 稲葉正誼 稲葉正邦

城郭 

三川合流地の中州を干拓し、淀三町と呼ばれる城下町を形成している。縄張りは本丸と二の丸を中心とした「回」字形に、三の丸、西の丸、東外には東曲輪が巨大な馬出曲輪が配されていた近世城郭である。築城にあたっては大坂城の縄張りが参考にされ、『天下取り73城』によると堀や門の取り付け方などは、当時の貿易国であったオランダ人からヨーロッパの築城技術が採り入れられたと考えられている。

北の納所地区と南西の美豆地区とは、淀小橋・淀大橋でつながれ、城下町の周囲は三川の水に囲まれ、河中の城であった。城下町を貫通する形で京街道が設定され、淀城大手門はこの京街道に面して設置された。淀城はこの中州の西部を指すが、中州自体が大きな水堀であり、古代中国の都城のような構造を持っていた。

この城の特徴として、淀城の西と北側に直径九間(約16m)の大型水車が2基設けられていた。二の丸の居間や西の丸の園池に水を取り入れていたのに使用されていたと思われている。当時山城国の人々から「淀の川瀬の水車、だれを待つやらくるくると」と歌われた。『都名詞画譜』に描かれた「淀城水車図絵」(http://www.nichibun.ac.jp/meisyozue/gafu/page7/KM_07_01_009F.html)(明治27年)。

櫓と門

淀城は天守以外にも多くの櫓と門があった。木幡山伏見城の廃城による代替として幕府が松平定綱に命じて築かせた。また、本丸には伏見城から殿舎の一部が移築されたとされている。しかし、この殿舎は徳川家光が上洛の際に宿泊したことから、以後城主はこの殿舎に住居を構えるのをはばかり、二の丸に新しい御殿を構えたという逸話が残っている。

本丸 二の丸 三の丸 西の丸 東曲輪
三重櫓 4基 なし なし なし なし
二重櫓 5基 2基 2基 なし  なし
平櫓 6基 6基 7基 3基 3基
3箇所 5箇所 6箇所 1箇所 3箇所

  • 櫓合計:38基
  • 門合計:21棟(上記以外に内高嶋曲輪に2棟設けられていた)

天守

二重の大入母屋屋根の上に三重櫓を乗せた五重五階の望楼型天守で、外壁は白漆喰総塗籠の壁であったと見られている。『山城国淀天守之図』には、入り組んだ破風の天守と隅の張り出した二重櫓を付属する姿が描かれている。

当初は伏見城の天守が移築される計画であり、それに合せて天守台を普請していたが、にわかに変更があって急遽伏見城の天守は二条城に移されて、替わりに二条城の天守が移築されることになった。しかし、二条城の天守は伏見城天守に合わせて築いた淀城の天守台に比べると小ぶりで周囲に余白ができた。その空白を埋めるために四隅に二重櫓を配し、その間を多聞櫓または多聞塀で連結した。この四隅にある櫓は姫路城からの移築であるという伝承もあり、「姫路櫓」と呼ばれていた。

関連建造物

  • 淀城縄張図 - 丹波櫓台下の石垣にあり、棟方志功の「松昔嵐」絵図とともに設置[1]

淀城跡公園 

現在、淀城は城郭に伴う再建造物はないが、本丸や石垣を利用した淀城跡公園が1968年(昭和43年)に開園した。しかし、京阪電気鉄道の淀駅高架化事業に伴い淀城公園も再整備される計画がある(下記「参考文献」節の京都市建設局外部リンクを参照)。現在の淀城公園は1.7haであるが、これに拡張部分17000mを追加し、本丸には実物大の櫓建物や、駐輪場のため埋め立てられていた内堀を復元したり、また淀城のシンボルともなっていた水車も復元される計画となっている。

城跡へのアクセス 

  • 公共交通機関でのアクセス
    • 京阪電気鉄道京阪本線 淀駅 → 徒歩約4分
  • 自動車でのアクセス
    • 京滋バイパス 久御山淀IC → 京都府道15号宇治淀線 → 京都府道126号新町淀停車場線 → 京都府道125号淀停車場線
    • 淀城跡公園に有料駐車場有り

参考文献 

  • 京都市文化市民局文化部文化財保護課『京の城-洛中洛外の城郭-』京都市文化市民局文化部文化財保護課、2006年3月、10–13頁。
  • 公益財団法人京都市埋蔵文化財研究所『淀城跡発掘調査現地説明会資料』財団法人京都市埋蔵文化財研究所、2003年12月、1–3頁。
  • 『日本城郭大系 第11巻 京都・滋賀・福井』新人物往来社、1980年9月、61-62頁。
  • 『淀城跡公園再整備基本構想(http://www.city.kyoto.lg.jp/kensetu/page/0000020460.html)』京都市建設局建設企画部建設総務課、2007年10月25日。
  • 小和田哲男『日本の名城・古城もの知り事典』主婦と生活社、2000年11月、289頁。
  • 『よみがえる日本の城 19』学研、2005年6月 27-29頁。
  • 『天下取り73 城』学研、2005年7月 364-365頁。
  • 井原西鶴『世間胸算用』1692年、巻四 亭主の入替りの挿絵に下り船の情景として淀城の描写あり。

淀城の口コミ情報

2024年01月02日 rigret
淀城



敷地内に神社が二つある。向かって右側が與杼神社と左側にあるのが稲葉神社。
稲葉神社は、淀城の城主だった稲葉正成を御祭神とする。

稲葉神社のすぐ近くは、立派な石垣がよく見える(写真2、3枚目)。GoogleMAPには、ここは天守台跡だと書かれているが、柵がしてあるので入ってはいけなさそう。

神社の奥にはジャングルジムなどの遊具、ベンチが設置され、広場となっていた。

新春ともあって、與杼神社ではお囃子の賑やかな音が鳴り、初詣に参じる人たちがまぁまぁいた。

2024年01月01日 髙島播磨守
淀城



茶々様を探しに行ったつもりが稲葉様のお城と初知り。子供達の公園となっており、石垣がたくさんあり、間近で見れるのが最高。

2023年10月22日 赤鷺ノ宮右近将監武尊
淀城



当時を思わせる立派な石垣が残る。中心部は立入禁止も中は覗ける。蓮子が一面の水堀も風情があります。

2023年03月17日 Kate
淀城

淀の河津桜を見に行った折に立ち寄りました。往時を偲ぶ立派な城跡でした。

2022年09月11日 金森出雲守
丹波櫓跡[淀城  遺構・復元物]

丹波櫓は三重櫓で、淀藩士渡辺善右衛門の淀古今真砂子によると丹波老の坂が見えるので丹波櫓というそうです。

2022年07月22日 尼崎城阿波守一口城主
淀城



6月25日、京阪淀駅から歩いて登城。駅前の周辺観光案内図を上げておきます。お城スポットは、淀城➡︎淀城跡公園、淀古城➡︎妙教寺でした。淀公園のすぐ手前に与杼(よど)神社⛩があったのでお参りしてから登城しました。淀城跡公園を散策して説明板などを見ていると、往時の淀城は淀川・桂川・宇治川・木津川と川を巧みに堀として利用しているように見受けられました。石垣もあったので上がってみたかったのですが上がってはいけない雰囲気だったので断念。公園の奥の方に進むと恐らく藩主だった稲葉氏の子孫の方が書かれた<淀城址>の石碑がありました。下城後に近くの淀古城を目指しました。

2022年07月18日 James 中務少輔
淀城

京阪淀駅の出口は1番ではなく4番5番でしょう。駅の案内に従っていけば間違えることはないと思うけど。

2022年07月16日 
淀城



縄張図をみると見事な堀が。小さくなってしまってますが、見どころはあります。隣の方からはファンファーレがきこえてきそうですが。
現状保存も大変でしょうが、戊辰戦争の最初の場所全体を含めて歴史に残して行っていただきたいですね。

2022年06月04日 金森出雲守
木津長屋[淀城  遺構・復元物]



木津川堤防上は足軽長屋となっていた。京街道との接続箇所はクランク状になる。

2022年06月04日 金森出雲守
京街道[淀城  遺構・復元物]

郵便局前の道がかつての京街道。東海道は山科の追分で分岐し、伏見、淀、枚方、守口を経て大坂に達する。淀小橋から城下に入り淀大橋から八幡へ向かう。

2022年05月08日 金森出雲守
米蔵跡[淀城  遺構・復元物]

米蔵が東曲輪の京口門付近にあった。発掘調査で建物基礎が出土した。

2022年05月08日 金森出雲守
東曲輪跡[淀城  遺構・復元物]

今も残る広小路の周囲に重臣屋敷が立ち並んだ。

2022年05月08日 金森出雲守
二の丸跡[淀城  遺構・復元物]

本丸御殿は将軍上洛時の宿所として使用されたので藩主は二の丸御殿を使用した。

2022年05月08日 金森出雲守
淀川瀬水車旧趾[淀城  碑・説明板]

淀城名物の水車跡を示す。実際の跡地はもう少し川寄りのはず。淀古今真佐子には朝鮮、琉球、オランダまで知れた名物、差し渡し4間4方、全体竹にて仕立てたると紹介される。水は庭園に取り込まれた。

2022年05月08日 金森出雲守
大坂口門跡[淀城  遺構・復元物]

クリーニング店北側駐車場に石垣の一部が残る。戊辰戦争時幕府軍滝川播磨守が開門を求めた場所という。

2022年05月08日 金森出雲守
淀藩校明親館跡[淀城  遺構・復元物]

戊辰戦争時に幕府軍の陣地となる。跡地に立つ小学校に名前が引き継がれる。

2022年05月08日 金森出雲守
孫橋[淀城  遺構・復元物]

この川が淀城下町の総構えの役目を果たしていた。築城当時はここまでが城下町で木津川が流れていた。永井氏の時に木津川の位置が変更され、新町が成立。今は早咲きの河津桜の名所

2022年05月08日 金森出雲守
東大手門跡[淀城  遺構・復元物]

戊辰戦争の時に敗走する旧幕府軍が堀に千両箱を放り込んだとの言い伝えがあるそうな、、幕府兵侵入の責任を取り田辺治之助が自刃。石碑は城跡公園に立つ。

2022年05月08日 金森出雲守
淀大橋跡[淀城  遺構・復元物]

この付近が淀大橋北詰で明治に付け替えられるまで南側に木津川が流れていた。今も南側が低地になっている。

2022年05月08日 金森出雲守
唐人雁木[淀城  碑・説明板]

淀川の舟付き場跡。かつてはこの付近まで淀川で朝鮮通信使はここから上陸して京都へ向かった。

2022年05月08日 金森出雲守
淀小橋[淀城  碑・説明板]

かつてはこの付近は宇治川で石碑付近が淀小橋北詰にあたる。スーパーツジトミ裏の低地は川の名残。

2022年04月17日 なな兵部大輔
淀城



淀駅下車すぐ 中は子供の遊具があり、遊び場になってます。ぐるりと石垣の上を歩けます。

2022年01月03日 グッサン
淀城

京阪淀駅から数分でアクセスできます。豊臣時代から紆余曲折はありましたが、江戸時代まで残った城郭です。石垣と堀が現存しており下手に手入れがなされていないところが、観光地の城と違った意味での風光明媚さを感じさせられました。櫓が数十基あった時代をイメージしながら巡ると感慨深いです。

2022年01月01日 ファン掃部助トム治郎
淀城



冬の朝7時前、夜明け直後に攻城しました。鳥羽伏見の戦いで身内のはずの淀藩からそっぽをむかれた幕府軍。朝靄に時の移り変わりのはかなさを感じました。

2021年10月12日 モリ太政大臣ちゃん57
淀城

江戸時代初期から、明治維新まで維持された、石垣と水堀が現存し、悠久の想いにゆっくり浸れる史跡です。石垣に刻まれた、担当藩の印や矢穴も身近に体験出来ますし、戊辰戦争時に勝敗を分けるホットスポットとしても訪れる価値は高いです。

2021年09月02日 ko+
石清水八幡宮[淀城  寺社・史跡]



ふと山城国の地図を眺めていて、軍事拠点があったのかな?と思った場所の一つがここ。
石清水八幡宮が鎮座する男山です。

仁和寺の法師が念願であった石清水八幡宮を参拝したが、賑やかだった山麓の神社を本宮と勘違いし、山頂の本宮の参拝をせずに帰ってきてしまった、徒然草にも登場する石清水八幡宮です。

石清水八幡宮のある男山付近は、摂津国との国境、桂川・宇治川・木津川の三川が合流、交通の要衝、合戦の舞台としても登場します。

太平記には、赤松則村が京都への交通を封鎖する為に陣を置いた、北畠顕信が立て籠った、後村上天皇が麓に陣取り、その後山上へ避難した、とあり、南北朝時代には京都への関門として、争奪の対象となっていた事が記されています。
更に時代を遡ると、桓武天皇が烽台を設けたと言われます。

ただ明確な場所は不明、男山城、八幡城と呼ばれた城は、山頂に限らず、山腹、山麓、周辺一帯を指していたものと考えられます。
山頂から山麓にかけ残る、坊跡と思われる多くの平坦面が、これらの舞台だったのかもしれません。

写真は
①国宝本社楼門、廻廊
②鬼門封じ隅欠きの石垣
③坊跡と思われる平坦面
④⑤⑥坊跡の石垣
⑦男山展望台より北東方向を望む。遠くに京都タワーを確認できる。
⑧織田信長寄進と伝わる信長塀

創建以来、京都の裏鬼門を守り、武運長久の神様として多くの武将達が篤い信仰を寄せた石清水八幡宮。
合戦の舞台の一つとして訪ねると、また違った一面が見えるかもしれません。

2021年03月27日 ほむら「近江守
淀城



石垣、堀、石碑の公園になっています。桜もありますので、今ちょうど良かったです

2020年12月27日 課長大和守Ver.B
美豆城[淀城  周辺城郭]



美豆城は築城者は不明ですが室町時代に三方範忠が在城していた記録があり、更に戦国期には本圀寺の変を前に三好三人衆が陣を敷いた所だそうです。

淀城の南西、美豆小学校の隣にある涼森神社前に城跡碑と説明板がありますが、城は神社西側に隣接していたようです。
明治、大正期には正方形の縄張の堀部分が遺構として残っていたようですが、現在は圃場整備により消滅しています。

城跡は碑のみですが隣接する涼森神社はどことなく往時の空気を醸している気はしますし、信長上洛の一端に絡む城として淀城散策とセットで訪問されると良いと思います。

2020年10月26日 雅楽助
淀城

リア地図の淀城跡からはお堀縁に行けませんが、すぐ横のブランコ奥から石垣上の散策路に上がれます。明治天皇御駐蹕の碑まで続いてます。
お堀がキレイで、石垣の稜線もキリっと。
リア行くなら是非!季節によってはひっつき虫だらけになりますよw

2020年09月26日 織田上総介晃司
淀城

淀城跡そばにある稲葉神社のコインパーキングが一番近い駐車場です。

淀殿の為に建てられた城は淀古城でここではありません。

G1レースが行われる京都競馬場が近くにありお馬さんファンの方で賑わう地域になります。

2020年06月26日 tectec675主殿頭
淀城

内部は、公園で、子供達が遊んでました。

石垣は登れる日とダメな日があります


2020年05月02日 大納言Z武蔵守369
稲葉神社[淀城  寺社・史跡]

祭神は、淀藩祖で二番目の妻は春日局でお馴染みの稲葉正成。
1871年廃藩置県後、城跡は稲葉家の所有となり、1885年に建立された。

2018年05月10日 勘解由次官ささき
淀城

↓追記
淀城の天守台に関してですが、鍵がかかってる時やかかってない時があるようです。かかってない時は天守台に入れます。時間に関しては不明なので行かれる方は早めに来た方が良さそうです。

2018年05月10日 勘解由次官ささき
淀城

京阪電車淀駅から徒歩5分の所にあります。車で行く方は淀駅の近くか京都競馬場(競馬開催中は料金が高くなります)の駐車場を利用するのがオススメです。現在残ってる城郭は本丸跡のみですが5重天守が建ってた天守台(昔は入れなかったようですが今は普通に入れます。天守台内の穴蔵は全国の城からしても希少です!)や北西と南西に建てられたとされる隅櫓台や本丸の内堀が遺構として残ってます。特に天守台の石垣は迫力があります!3キロほど離れた所に勝竜寺城もありますのでセットで行かれるのがオススメです。(その他 城跡に遊具が設置されてる・石碑及び説明板在り・過去に模型天守が置かれてましたが今はなし。)

2017年06月07日 橘若狭守次郎吉
淀城

規模は小さいですが、石垣が見応えあります。特に天守台と丹波櫓の石垣がオススメです。色んな角度から石垣を見てみると面白いです。石碑は二ヶ所あります。

2016年08月03日 源陸中守ポンコ2…千円飲放
淀城

京阪淀駅から南西の線路沿いに歩いて3分のところにあります。
以前は淀駅のプラットホームの目と鼻の先に天守台の石垣が見えており、京都競馬場に行く時によく見てましたが、いつの頃か高架になり駅からもやや離れてしまいました。

今の城跡は、本丸西・南部分の内堀・石垣が残っていて、天守台はしっかり残ってます。天守台は保存修理が行われてるからかもしれません。
天守台の穴蔵入り口には柵があり鍵がかけられていて立ち入れずですが、本丸周囲の櫓台には登ることができます。
また、丹波櫓・西口門跡も比較的残っていて、本丸内は児童公園やヨド神社になってます。

本丸西の掘が京阪の高架下と隣接してますが、そこは駐車場になっており、掘に近づくと天守台を背にした「お城にさわらないでください」の注意書がついた模型風?のものが見えます。隠れた見所かな。。 

2012年11月27日 金森出雲守
淀城

淀の商店街で淀城音頭ロールケーキを発見!おかみさんが音頭を実演してくださいました。城にはやはり音頭がつきものなのか…栗入りでなかなかGoodでした。

2012年04月14日 てっちゃん掃部頭50
淀城

京阪電車「淀」駅移設(高袈化)したため 駅のすこし南側で
電車内から 現在立ち入り禁止の天守台 内部見られます!!

淀城の周辺スポット情報

 石垣(遺構・復元物)

 天守台(遺構・復元物)

 水堀(遺構・復元物)

 東大手門跡(遺構・復元物)

 淀大橋跡(遺構・復元物)

 孫橋(遺構・復元物)

 淀藩校明親館跡(遺構・復元物)

 京口門跡(遺構・復元物)

 大坂口門跡(遺構・復元物)

 米蔵跡(遺構・復元物)

 二の丸跡(遺構・復元物)

 東曲輪跡(遺構・復元物)

 淀小橋南詰付近(遺構・復元物)

 三軒寺(遺構・復元物)

 水車のモニュメント(遺構・復元物)

 京街道(遺構・復元物)

 木津長屋(遺構・復元物)

 本丸(遺構・復元物)

 月見櫓跡(遺構・復元物)

 丹波櫓跡(遺構・復元物)

 西の丸(遺構・復元物)

 唐人雁木(碑・説明板)

 淀小橋(碑・説明板)

 淀川瀬水車旧趾(碑・説明板)

 淀城跡碑(碑・説明板)

 田辺治之助君碑(碑・説明板)

 美豆城(周辺城郭)

 与ど神社(寺社・史跡)

 稲葉神社(寺社・史跡)

 淀神社(寺社・史跡)

 石清水八幡宮(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 コインパーキング(駐車場)

 自転車・バイク駐輪場(駐車場)

 淀城跡公園(関連施設)

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