普代城(ふだいじょう)

普代城の基本情報

通称・別名

三上館

所在地

岩手県下閉伊郡普代村普代

旧国名

陸中国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

三上氏

廃城年

遺構

曲輪、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

周辺の城

久慈城(岩手県久慈市)[26.0km]
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普代城の口コミ情報

2021年08月17日 順☆散歩征夷大将軍189+11
普代城



結論から書きますと、実際に行ってみたところ城マークがあるところに確実に遺構だと思われるものは何もありませんでした。

自分は以下のように攻めました。まず、登城口を2つ発見しましたが、先人の方が書いてらっしゃるところが近くて分かりやすいのでそこからスタート。城マークはそこからほぼ真北にあるものの、道は最初西北方向に続いています。そして石碑のところを右へ曲がり、墓地跡から尾根沿いを進むのですが、そうすると今度は東北東に進むことになります。これで近づけるかと思いきや、明確な遺構もないまま尾根はマークの南側を通りすぎ、逆にどんどん遠ざかってしまいました。かといってマークの真南の尾根から北へ攻めようと思っても崖なので無理。なんとか斜面の緩やかなところはないかと探したら、マークの南やや西よりに北側へ続く尾根(といってもかなり急)を発見したのでそちらへ。もちろん薮なので道はありません。途中、自然な地形なのか人工的なものか判然としない堀切に遭遇しました(場所的に堀切があるには不自然なので自然地形かな)。さらに尾根を進むも、今度は城マークの西側を通りすぎ、やはり遠ざかってしまいます。なので、ここからは無理やり東の急斜面を降り、マークの方向へ直進することにします。ところが、マークのところへたどり着いても単なる斜面が続いているだけで、何もありません。しばらく森林内をさまよって探しても確実に遺構といえるものはなかったですね。周囲の地形を見ても、城があったとは全く思えないです(帰雲城のように崩れてなくなったのなら話は別ですが)。

後日調べてみたところ、やはりネット上ではこの城に関する情報は見つかりませんでした。岩手県教育委員会の資料(古い資料ですけど)の岩手の城一覧を見ても、掲載されている「749個」のお城の中に「普代城」もしくは「三上館」は見つかりませんでしたから、調査も行われていないかもしれません。そうすると正確な場所もわからない=マークの位置も正確ではない、という可能性もあります。自分が調べることができたのは残念ながらここまでです。

なお、墓地跡から続く尾根を進むくらいなら大丈夫ですが、そこからさらに城マークに近づいていくなら歩いたルートをGPSで記録しながら進まないと遭難しますし、斜面も滑落の危険性があるので注意してください。距離的には登城口から比較的近いです。

2020年07月28日 RED副将軍
普代城



オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

岩手県下閉伊郡普代村にある山城です。
攻城マップでも周囲に他の城は無く、離島でもないのに完全に孤立しています。
2020年7月現在でも、1人の勇者が写真を3枚アップされておられるだけです。
しかも、凄いのはネットで調べても殆ど情報がない謎の城で、誰もリア攻めをしようとしないのは納得の場所であり状況です。
先人の口コミも参考にしながら登城できそうな所を探すと主郭予想地の南側に右写真の通り、僅かに舗装が施された入り口がありました。舗装は2m程で途切れ、藪漕ぎをしながら入っていきます。魔界への入口感がハンパ無いです。
水道施設を横目にずっと進むと、まず、「山神」の石碑があり、その先に荒廃した墓地跡(2基のみ墓石あり)があります。ここで魔界感はピークに達します。
更に、左写真の様に藪を掻き分け尾根伝いに登ると主郭らしき小さい平坦地が藪の中にありました。
以上でオススメできない内容でした。
この口コミを見ても、リアされる好奇心旺盛な方は、川口浩(原始猿人バーゴンを発見した探検家。80年代の緩いコンプライアンスとBPOに守られただけの英雄)以上の冒険家と勝手に認定します。

2013年10月09日 三日左馬助落人
普代城

城の遺構など明確なものは確認できませんでした。

が、時間のある方には城跡とされる山の麓にある「普代水門」と「太田名部防潮堤」の見学をおすすめします。

あの東日本大震災の折、周辺各地の防波堤が津波の越流を許して甚大な被害を出すなか、高さ15.5mの上記防災設備は津波に対して十分に機能し、この地域は死者・住宅被害ともにゼロという希有の例となりました。

村を守った「現代の城壁」に敬意を表しまして。

2013年04月03日 すかんぴん左馬助
普代城

案内板などは無く、アタリを付けて登れそうな山を登りました。
途中、水道関連の設備があり、その上は墓地になってました。

尾根を伝って高い方へ行くと海が見えて、海を背後にすると平地が見渡せます。

周囲は椎茸農家さんの山で、ホダ木を育てている様子。
それに比べて、チョイスした山は公共性がありましょうか。

一帯が土石流多発地域に指定されているようで、長い年月で遺構どころか山の形も変わっているのかもしれません。

帰り際、図書館にて村史や郷土史をざっと見ましたが、城の事は何も分かりませんでした。



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