白鳥城(しらとりじょう)

白鳥城の基本情報

通称・別名

白鳥塁、呉服山城、呉服山陣城

所在地

富山県富山市金屋字笹山割、寺町字城乗、吉作

旧国名

越中国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

神保長職

築城年

天文12年(1543)

主な改修者

前田利家

主な城主

神保氏、岡島一吉・片山伊賀(前田氏家臣)

廃城年

慶長年間(1596〜1615)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸、土橋

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

大峪城(富山県富山市)[1.7km]
安田城(富山県富山市)[2.0km]
願海寺城(富山県富山市)[3.1km]
富山城(富山県富山市)[4.3km]
蜷川館(富山県富山市)[7.0km]
日宮城(富山県射水市)[7.1km]
岩瀬城(富山県富山市)[7.3km]
富崎城(富山県富山市)[7.4km]
新庄城(富山県富山市)[7.9km]
太田本郷城(富山県富山市)[8.3km]

白鳥城の解説文



白鳥城(しらとりじょう)は、越中国婦負郡白鳥[1](現在の富山県富山市吉作)にあった日本の城。とやま城郭カードNo.17[2][3]

概要 

呉羽丘陵の城山(標高145.3メートル)を中心に現在も曲輪群、空堀、井戸跡などの遺構が残る。東側に平城である富山城を見下ろす位置関係にあるが、丘陵の東側は急斜面になっているのに対し、西側はゆるやかな斜面のため、西からの攻めに対しては弱く、東方に備えて築かれた城である。したがって、東からの上杉勢に対しては富山城の詰め城の機能を果たしたが、逆に豊臣勢など西からの寄せ手に対しては相手の富山城に対する付け城ともなった。

城名は東麓に在る白鳥神社(富山市寺町)に由来するが、古くは御服山(五福山、呉福山とも)城と呼ばれた。

富山市中心部からほど近く、本丸跡は市街を眼下に立山連峰を一望できるベストスポットでもある。アクセス道路、自転車道、遊歩道も整備されており、気軽に訪れることが出来る。

歴史 

本丸跡からは環壕を巡らした弥生時代の高地性集落跡が見つかっており、古くから軍事上の要地であったことが判る。文献上は、寿永2年(1183年)に源義仲の武将・今井四郎兼平が陣を張ったとするのが最初の記録で、その後、越中守護代神保長職が上杉謙信の越中攻めに備えて本格的に築城し、富山城の詰城として利用されたと思われる。その後、神保氏の降伏により城は上杉方の手に移ったが、元亀3年(1572年)には西から攻め寄せる一揆勢により落城した。白鳥城は、東側が急斜面となっており東からの攻撃には強かったが、西側はなだらかな斜面となっており、西からの攻撃には脆弱な城であった。

上杉謙信の死後、越中が織田方の支配下にはいると、佐々成政が富山城に入り白鳥城も引き続きその支城として使われたと思われるが、天正18年(1585年)に羽柴秀吉が成政を攻めた際(富山の役)、富山城を見下ろす位置にある白鳥城に豊臣軍の陣が置かれた。秀吉の本陣が置かれたとする伝承があるが、実際に秀吉の本陣が置かれたのは加越国境の倶利伽羅であり、白鳥城に陣を設けたのは先遣隊の大将であった織田信雄とみられている。

成政降伏後は婦負郡以西を加増された前田利家が有し、まだ越中の一部を領していた成政に備えるため城将を置いた[4]。現存する縄張りはこの頃に完成したものとされている。

文禄4年(1595年)に新川郡を加増された前田利長は、白鳥城とその支城に城将を置く[5]。同年、新川郡の諸城も上杉家の越中衆より引き渡される[6]。利長は守山城を本拠とし、佐々・上杉の越中撤退により白鳥城は慶長年間に廃城となった。

1980年(昭和55年)から1983年(昭和58年)にかけて試掘調査が行われ、本曲輪で礎石建物のほか鍛冶遺構などが検出された[7]

遺構・復元施設 

  • 虎口 - 門や土塀、櫓があったと思われるが[8]現存していない。
  • 空堀跡 - 丸太を削った側面に書かれた「空堀跡」の木碑。
  • 二の丸跡 - 同じく「二の丸跡」木碑。
  • 本丸跡 - 本丸跡案内板がある。
  • 天守台

周辺施設

  • しらとり広場「白鳥城址」石碑 - 裏側に歴代城主の歴史と富山の発展を祈願する文が刻まれている(本記事の画像も参照)。
  • しらとり広場展望台

支城 

  • 大峪城 - 婦負郡内に存在した白鳥城の後詰めを担う支城。現在は土塁が残っている。
  • 安田城 - 同上。

交通 

  • JR高山本線・西富山駅から徒歩15分
  • 北陸自動車道・富山西ICから約20分
    • 無料の駐車場あり

白鳥城の口コミ情報

2023年01月15日 気分爽快信濃守
白鳥城



富山市街から近く、駐車場もあるので、攻城しやすいです。駐車場から、城址碑、東出丸、三の丸、二の丸、本丸、本丸下郭、北一の丸と順に見る事ができます。随所に堀があるのですが、草に覆われて掘底は確認できませんでした。駐車場横の展望台からは、富山平野が眺められるとのことですが、靄がかかっていて、全くみえませんでした。
①本丸下郭下の二の丸につながる郭
②城址碑
③東出丸
④二の丸、三の丸との間の空堀
⑤本丸の土壇
⑥本丸下郭から、横堀越しの本丸
⑦本丸下郭
⑧北一の丸 手前は空堀

2021年06月01日 もっくん勘解由長官3号
白鳥城

安田城で入手した縄張り図を片手に、探索しましたが、虎口など良くわからず、縄張り図を描かれた人の能力に感心しました。

2021年03月14日 曲輪淡路守削平
白鳥城

安田城跡資料館に出土品や立体模型などが展示されている白鳥城のコーナーがあります。時間のある方は立ち寄ってみられてはいかがでしょうか。リア攻めの予習にお勧めです。

2016年01月11日 カーネル
白鳥城

高山線の西富山駅で下車

駅から東へ徒歩10分にある五福小学校の大峪城の名残を見てから県道59号線を西へ

600mくらいで北へ向かい、線路を超えると正面に白鳥城がある山城が見えます
距離は大したことないけど、道が大きく迂回しているので、なかなか近づかけません。車には優しいけど、歩きには厳しい城です
坂道を黙々と登り、白鳥城入口の駐車場へついたら、本丸までは堀と曲輪が連続して見どころたくさん。堀は下草で埋もれていても、規模が大きいので視認できます
駐車場からは、高低差は、ほぼ無いくらいのレベルです

移動と見学時間を含めて、西富山駅に1時間半くらいで戻って来ました

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです


2015年08月05日 まー刑部卿
白鳥城

無料駐車場有りトイレも有る。登城当日は富山市内の花火大会のため駐車場内は混雑してました。石碑を過ぎて東出丸から空堀跡、二の丸、本丸跡と杭が立ってました。三角点のあるところが天守台の跡とのこと。藪になっている部分の除草があればもっと堀跡が明瞭にわかると思う。本丸跡までの階段は意外と堪える。

2014年10月26日 ООトマシ
白鳥城

現在は城山公園となっています。
呉羽梨で有名な梨園を通って、しばらく行くと、ちょうど上りきった感のあるところに周辺図の看板が立っており、駐車スペースもあります。
白鳥城趾の石碑を横目に階段を登っていき、まず東出丸、つぎに二ノ丸、空濠を経て三ノ丸、本丸趾へと階段をつめていきます。
歩きやすい階段でおびただしいドングリの実で敷きつめられていて、子どもならずともワクワクします。
豊かな森に、いろいろな鳥を目にすることもできます。
山上には三角点、そして全国に48ヶ所?だったかの天測点という天文計測点の碑があります。(現在は使われていません。)
しらとり広場からは立山連峰を望遠鏡でのぞき、手動発電でその方角にある山の説明を聞くことができます。



2012年11月23日 車楽斎 越中守
白鳥城

最近、全国山城サミット連絡協議会にも加盟され
以前よりは整備も進んでますが…

往時の虎口などなど…は未だ未整備…orz

これからに期待します

2011年12月11日 赤いRVR甲斐守@松本
白鳥城

国道旧道沿い、富山大学を左手に見ながら進むと看板あり。そこから数分で駐車場がありますが、城はそこから1キロほど先なので、その数台の駐車スペースに置くのが楽です。手前の駐車場から尾根伝いに歩くのも悪くない。立山連峰がきれいです。堀切などの遺構もよくわかります。

2010年08月29日 傾奇揚げ仙兵衛
白鳥城

呉羽梨の直売所で幸水を買って

白鳥城の周辺スポット情報

 白鳥城址の碑(碑・説明板)

 古沢遺跡(寺社・史跡)

 公衆トイレ(トイレ)

 しらとり広場駐車場(駐車場)

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