永田陣屋(ながたじんや)

永田陣屋の基本情報

通称・別名

所在地

神奈川県横浜市南区永田北1

旧国名

武蔵国

分類・構造

平山城

天守構造

なし

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

肥田氏?、服部氏?

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

周辺の城

蒔田城(神奈川県横浜市)[2.0km]
太田道灌屋敷(神奈川県横浜市)[2.1km]
今井城(神奈川県横浜市)[2.9km]
中田加賀守屋敷(神奈川県横浜市)[4.3km]
青木城(神奈川県横浜市)[4.6km]
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野庭関城(神奈川県横浜市)[6.0km]

永田陣屋の解説文

永田陣屋は戦国時代の北条氏の陣屋であるとされる。

陣屋跡は現在、宝林寺という寺社の墓地となってしまっており、遺構を確認することは出来ない。

永田陣屋の口コミ情報

2023年06月18日 麒麟を見たことある侍右衛門佐
永田陣屋



遺構は残っていませんでしたが、お寺は立派でした。お寺の鐘楼に北条家の三つ鱗がありました。墓地は広く、道も少し危険があります。景色はいいと思いました。

2022年03月29日 左近衛少将てつ
永田陣屋

寳林寺の立派な墓地になっています。遺構らしいものは見つけられませんでした。

2021年05月22日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
保土ヶ谷本陣跡[永田陣屋  碑・説明板]



保土ヶ谷本陣。説明板と門の跡がある。旧東海道の道標もある。


2021年05月22日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
脇本陣(水屋跡)[永田陣屋  碑・説明板]



本陣一軒、脇本陣三軒の1つ。茶屋本陣とも呼ばれていた。

2021年05月10日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
鎌倉街道下ノ道・金沢横町道標四基[永田陣屋  寺社・史跡]

現在は休憩出来る小スペースがあります。

道標はそれぞれ、

『円海山の道』は磯子の護念寺に通じる道標。古典落語の強情灸の舞台、峯の灸の場所。今でも予約すればお灸が出来る模様。
(Wikipedia他ネットによると。)

『金沢鎌倉道』は ぐめうし道と刻まれている。
(弘明寺~金沢八景方面の案内の模様。)

『杉田道』は句が書かれており、俳人其爪が杉田梅林の景勝を称えたものらしい。

『富岡山芋大明神の道』は富岡の長昌寺へ続く道との事。
(疱瘡=イモガサ で天然痘に効く湧水の出る守り神として信仰されたらしい。)

2021年05月10日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
鎌倉街道下ノ道・御所台の井戸[永田陣屋  寺社・史跡]

現地の看板では、北条政子がこの井戸水を汲んで化粧に使用したとの事。
江戸時代は、将軍通行時の御膳水としてこの井戸水を使用したとの事。
(横浜市のホームページだと、北条政子の化粧利用、江戸時代以降は天皇や将軍が保土ヶ谷宿の軽部本陣に立ちよった際に、料理の水に使ったとの事。)

2021年04月25日 【若】北条主水正創左衛門
永田陣屋

遺構は特にありません😭お寺になっており、お墓がたくさんあります。石碑や看板も無いです。

2017年05月08日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
永田陣屋

お寺です。
住宅地の近くにあるお寺です。
お墓参りの人にしか会わなかったです。
地域に城跡として認識されてるかはこのアプリしてる人しかわからないかも。


永田陣屋の周辺スポット情報

 庵の説明(碑・説明板)

 古東海道・相州道・道標(碑・説明板)

 脇本陣(水屋跡)(碑・説明板)

 保土ヶ谷本陣跡(碑・説明板)

 旧古町橋跡(碑・説明板)

 旧中橋跡(碑・説明板)

 問屋場跡(碑・説明板)

 陣屋跡の墓地(寺社・史跡)

 鎌倉街道下ノ道・御所台の井戸(寺社・史跡)

 鎌倉街道下ノ道・北向地蔵(寺社・史跡)

 鎌倉街道下ノ道・金沢横町道標四基(寺社・史跡)

 鎌倉街道下ノ道(その他)

 尾根道(その他)

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