六浦陣屋(むつうらじんや)

六浦陣屋の基本情報

通称・別名

金沢陣屋

所在地

神奈川県横浜市金沢区六浦(私有地)

旧国名

武蔵国

分類・構造

陣屋

天守構造

なし

築城主

米倉忠仰

築城年

享保8年(1723)

主な改修者

主な城主

米倉氏

廃城年

遺構

石段

指定文化財

再建造物

周辺の城

青ヶ台城(神奈川県横浜市)[2.4km]
鎌倉城(神奈川県鎌倉市)[5.8km]
住吉城(神奈川県逗子市)[6.8km]
鐙摺城(神奈川県三浦郡)[6.8km]
笹下城(神奈川県横浜市)[6.9km]
斎田左衛門屋敷(神奈川県横浜市)[7.1km]
野庭関城(神奈川県横浜市)[8.0km]
衣笠城(神奈川県横須賀市)[9.9km]
玉縄城(神奈川県鎌倉市)[10.0km]
村岡城(神奈川県藤沢市)[10.3km]

六浦陣屋の解説文



六浦陣屋(むつら(むつうら)じんや)は、現在の神奈川県横浜市金沢区六浦(武蔵国久良岐郡)にあった陣屋で、六浦藩(武州金沢藩)の藩庁である。版籍奉還までこの名称で呼ばれた。

概要 

江戸幕府5代将軍徳川綱吉の時に才覚を表し、元禄12年(1699年)、武蔵国、相模国などで1万石を領した米倉昌尹が5千石加増で下野国の皆川藩に陣屋を構え、2代藩主昌明の時に3千石分知し、1万2千石となった。

4代藩主忠仰の代、享保7年(1722年)武蔵国金沢の地に移封し、翌年に陣屋が完成し、陣屋を移した。この時点で皆川藩は廃藩となった。

現状 

六浦陣屋は、現在の京急本線金沢八景駅沿いの六浦(追浜)の方に裏門を設け、人がやっと通れるほどの小さなガード下(駅前のガードではない)の瀬戸の方に表門があり、今では国道16号沿いとなった泥牛庵の頂上は藩主の見晴台として「御茶山」と言われていた。

陣屋跡は宅地化の進行で見る影もないが、中程に旧藩主の子孫が住んでいる。遺構として、陣屋入り口に石段が残っている。

アクセス 

  • 京浜急行電鉄・横浜シーサイドライン 金沢八景駅より徒歩およそ10分。

六浦陣屋の口コミ情報

2022年09月10日 しんらつ三郎
六浦陣屋



目印になるものが何もありません。周辺を一周しました。

2021年04月19日 【若】北条主水正創左衛門
六浦陣屋

現在、遺構は特にありません😭石碑や看板もありません😭

2020年11月16日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
神武寺城[六浦陣屋  周辺城郭]



神奈川県の逗子市にある神武寺城♪

往時から現在、城址は神武寺の境内となっています☆
源頼朝も北条政子も信仰したと伝わる神武寺♪結構格式が高いのでしょう♪古くからある神武寺です☆
神武寺は明治の頃まで女人禁制の山岳信仰の霊場として活用されていました♪

鎌倉の北条氏が三浦氏の侵攻に備えて鎌倉幕府を防衛する為に築いたと伝わります☆「鎌倉七口」の一つ「名越切通」を防衛する出城だったと考えられています☆

戦国時代には豊臣秀吉の小田原城征伐の際に神武寺が戦火に遭ってしまいます☆寺ながら戦っていた可能性♪豊臣秀吉は此処を城として見ていた可能性があった証拠♪北条氏に属し武装した僧兵による意地の戦があったのかもしれません☆

寺ながら土塁を持ち動線はクランク☆戦う寺院はかっこいいですね☆
山中を歩いてたら石切丁場の様なモノもありました♪調べてみよ☆

2017年05月08日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
六浦陣屋

線路の脇の細い小道で家が数件あります。
該当の場所は民家でした。
ここもここが城跡か示す遺構や看板は無かったです。

六浦陣屋の周辺スポット情報

 石段(遺構・復元物)

 神武寺城(周辺城郭)

 箱崎高砲台(寺社・史跡)

 追浜砲台(寺社・史跡)

 伊藤博文旧金沢別邸(寺社・史跡)

 金龍院(寺社・史跡)

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