高田城(たかだじょう)

高田城の基本情報

通称・別名

所在地

青森県青森市高田字川瀬

旧国名

陸奥国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

土岐則基

廃城年

天正6年(1578)

遺構

曲輪、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

周辺の城

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高田城の解説文



高田城(たかだじょう)は、青森県青森市大字高田字日野にあった日本の城(平山城)。

概要 

高田集落の北東に位置する館で、宅地化されているため遺構は少ない。

歴史 

建築時期は不明である。戦国時代には土岐則基の居城であった。則基は高田村、荒川村を領して、800石で南部氏に仕え、津軽関門の守備を担っていた。天正6(1578)年、大浦為信が浪岡城を攻略、則基と嫡男の則重が戦死した。次男則忠・三男則吉は南部高信次男政信の娘を奉じ、三戸に逃亡し、則忠は三十石を賜った。それにより、廃城となったと思われる。土岐氏は、慶長年間に政信の娘が、七戸城主七戸直時に嫁ぐと、付き人として、直時に仕えて、二十三石切米五駄を賜った。後に直時の命で「高田」に改姓すると、七戸城番頭筆頭四家の一つとして栄えた。

参考文献 

  • 「青森県人名大事典」1969年、東奥日報社

高田城の口コミ情報

2021年05月11日 tk
高田城

青森空港の真下に在る高田集落にあります。近くには国指定の小牧野遺跡(縄文前期 環状列石) 北側には日本最大の三内丸山遺跡があります。現在 集落の北側には東北新幹線が通過しています。

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