駒ヶ嶺城(こまがみねじょう)

駒ヶ嶺城の基本情報

通称・別名

臥牛城、駒ヶ嶺要害、駒ヶ嶺所

所在地

福島県相馬郡新地町駒ヶ嶺字館

旧国名

磐城国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

相馬盛胤

築城年

天正年間(1573〜1592)

主な改修者

主な城主

藤崎氏(相馬氏家臣)、黒木氏、桜田氏、新田氏、富塚氏、宮内氏(伊達氏家臣)

廃城年

慶応4年(1868)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

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駒ヶ嶺城の解説文



駒ヶ嶺城(こまがみねじょう)は、福島県相馬郡新地町(陸奥国宇多郡)にあった日本の城。

沿革 

永禄年間から天正初年頃に、相馬盛胤が伊達氏への防衛網を強化するために築き、藤崎摂津守を城将として置いた。

天正17年(1589年)5月に、伊達政宗の家臣・亘理重宗が駒ヶ嶺城を攻略すると、政宗は黒木宗俊を城主とした(のちに桜田元親と交代)。 この時に政宗が獲得した宇多郡北部(現:新地町)は幕末に至るまで仙台藩の所領となり、駒ヶ嶺城は浜通りの伊達領最南端の城砦となった。

藩政期には駒ヶ嶺要害と呼ばれ、新田氏を経て正保元年(1644年)には富塚重信が、享保3年(1718年)には宮内定清が城主となり、以降は宮内氏が幕末まで城主を務めた。なお、宝暦年間には要害から所へ格下げとなっている。江戸浜街道が城の東側と南側に沿って進み、城の南側の町屋敷が駒ヶ嶺宿となっている。宿場の西側に境目番所があり、町屋敷の南側には川を挟んで足軽屋敷が立ち並び防衛線を形成していた。

慶応4年(1868年)の戊辰戦争の際には、仙台藩の浜通り方面軍の本営が置かれたが、8月6日に相馬中村藩が薩長方に降ると、翌7日には薩長軍が駒ヶ嶺城攻めを開始、11日には相馬・久留米藩兵等の攻撃により陥落。仙台藩は16日と20日の二度にわたって奪還作戦を仕掛けたがいずれも失敗に終わった。

本丸跡には城跡碑と案内板が、南麓には「戦死塚」および「仙台藩士戊辰戦没之碑」が建つ。

参考文献 

  • 『新地町史』歴史編(福島県相馬郡新地町、1999)

駒ヶ嶺城の口コミ情報

2024年02月06日 駄目大納言政宗
駒ヶ嶺城

車は途中迄行けますが、奥の家の出入り口になるので下の道路に置いて徒歩での攻めが良いかと思います。田んぼの畔に左斜めに入口が伸びています。5分ぐらいで主郭につきますが、途中三差路を左に向かってください。

2022年05月29日 ああ福島県大膳大夫城弾正
駒ヶ嶺城



駒ヶ嶺城は今年3月の地震により本丸東側の塁壁部の地盤に亀裂が入りズレが生じており(写真)、南虎口には倒木が見られます。地元自治体などで把握されているか不明です。御来城の際はご注意お願いします。

本丸南虎口は右折れの枡形で手前に土橋があり、この土橋を出た所を左側にUターンすると虎口がある。この虎口を出ると本丸と西舘間の堀切に出る。つまりこの部分の堀は通路を兼ね、本丸への土橋を利用した左折れの枡形の形状となっており土橋脇の虎口に入る敵を本丸で背後から射撃出来るようになっている。その構造は彦根城や伊予松山城、姫路城などを連想させ、ここが搦手とは思えない厳重な造りである。この構造から土橋には塀などが存在したのかもしれない。

2019年05月01日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
駒ヶ嶺城

県道394号線沿い駒ケ嶺交差点を過ぎた所の印刷会社近くに停車できるスペースがありますよ。

2018年08月17日 大隅守
駒ヶ嶺城

車で来られた方は駐車場が無いので
近くの法輪寺の駐車場を拝借した方が良いです。

2018年08月13日 Nabeppu左馬頭
駒ヶ嶺城

先人の方も書かれているが、駐車場はありません。
入口は北側になります。道路に面した所に、手作り感満載の看板に臥牛城と書かれています、看板の直ぐ下に古びた消火栓があり、そこから上がります。車一台がやっと通れる位の道を上がって行くと左手に畑が見え、そこにも手作り看板があります。そこから、横矢掛りしまくりの三の舘を抜けると本舘になります。
夏場入口は鬱蒼としてますが、三の舘まで入ってしまえば、結構見易いと思います。

2014年05月06日 中務少輔きたろう三世
駒ヶ嶺城

大手道は、切通しの通路から畑に抜ける道のようだが、駐車スペースがなかなかない。少し遠くに停めて登城したが、法輪寺側の道から登城してもいいかもしれない。

主郭付近はやや改変されているように感じたが、周囲の大規模な横堀や、虎口だらけの構造は、十分に見応えがある。

駒ヶ嶺城の周辺スポット情報

 入口の看板(碑・説明板)

 新地城(周辺城郭)

 駐車場(駐車場)

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